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本願寺西山別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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1756年(宝暦6年)、本山旧阿弥陀堂を本堂として移築。久遠寺旧堂は[[黒谷・慈敬寺]]に移築された。 | 1756年(宝暦6年)、本山旧阿弥陀堂を本堂として移築。久遠寺旧堂は[[黒谷・慈敬寺]]に移築された。 | ||
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+ | *「西山久遠寺記」『大谷本願寺通紀』「別院縁由」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950296/118] | ||
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2021年3月13日 (土) 時点における版
本願寺西山別院(ほんがんじ・にしやま・べついん)は京都府京都市西京区にある覚如ゆかりの浄土真宗寺院。西本願寺の別院。御坊。寺号は久遠寺。西山御坊。覚如墓(覚祖廟)がある。(参考:同名寺院久遠寺_(同名))
歴史
最澄の創建という。1314年(正和3年)、覚恵の遺志を継いだ覚如が創建したとも。 亀山上皇から「久遠実成阿弥陀本願寺」の号を下賜されたという。
1336年(延元1年/建武3年)、戦乱で東山大谷の親鸞廟(本願寺)が焼けた時、覚如は久遠寺に住んだ。そして死後、久遠寺に葬られた。 衰微して天台宗寺院になったこともあったが、戦国時代に寺内町があった。 川島の門徒が寺と土地を法林寺に寄進。以後、同寺が兼務したが、1670年(寛文10年)8月、本山に献納された。本山により整備が進められ、本堂を建立。大谷本廟の旧本尊阿弥陀如来を遷座して1673年(延宝1年)12月に落慶した。
1756年(宝暦6年)、本山旧阿弥陀堂を本堂として移築。久遠寺旧堂は黒谷・慈敬寺に移築された。 (日本歴史地名大系)
資料
- 「西山久遠寺記」『大谷本願寺通紀』「別院縁由」[1]