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永久寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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永久年間(1113-1118)、[[鳥羽上皇]]の勅願で創建。『諸寺縁起集』では永久2年とする。開山は頼実、または尋範、あるいはその両人という。 | 永久年間(1113-1118)、[[鳥羽上皇]]の勅願で創建。『諸寺縁起集』では永久2年とする。開山は頼実、または尋範、あるいはその両人という。 | ||
+ | 本堂、真言堂、多宝塔、吉祥堂、観音堂、御影堂、四所明神社、玉賀喜社などがあった。 | ||
上乗院と中院が中心。大喜院、智恵光院(清浄光院)、常有院など、50を超える塔頭があった。 | 上乗院と中院が中心。大喜院、智恵光院(清浄光院)、常有院など、50を超える塔頭があった。 | ||
2017年9月21日 (木) 時点における版
内山永久寺(うちやま・えいきゅうじ)は、大和国にあった真言宗寺院。本尊は阿弥陀如来。廃絶。興福寺の末寺。元号寺。多数あった石上神宮神宮寺の一つ。当山修験十二正大先達の一つ。金剛乗院と号す。内山寺とも呼ばれた。山号は内山。
歴史
永久年間(1113-1118)、鳥羽上皇の勅願で創建。『諸寺縁起集』では永久2年とする。開山は頼実、または尋範、あるいはその両人という。 本堂、真言堂、多宝塔、吉祥堂、観音堂、御影堂、四所明神社、玉賀喜社などがあった。 上乗院と中院が中心。大喜院、智恵光院(清浄光院)、常有院など、50を超える塔頭があった。
興福寺大乗院末。後醍醐天皇の吉野行幸の際に永久寺を通過。文禄4年、豊臣秀吉が971石を寄進。明治9年、廃絶。
鎮守四所明神社の拝殿が出雲建雄神社(石上神宮摂社)の拝殿として残る。 寺跡の発掘調査などは行われていない。 (日本歴史地名大系ほか)