ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
江戸・鳳閣寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
7行: | 7行: | ||
- | + | ||
+ | *『寺社書上』「鳳閣寺地誌取調書上覚」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2571405/1/50] | ||
+ | *『寺社書上』「鳳閣寺縁記」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2571405/1/76]:1681年(天和1年)。 | ||
+ | *『寺社書上』「実相寺縁記」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2571405/1/84] | ||
+ | *『寺社書上』二諦坊領朱印状[https://dl.ndl.go.jp/pid/2571405/1/91] | ||
[[category:東京都]] | [[category:東京都]] |
2024年4月18日 (木) 時点における版
鳳閣寺(ほうかくじ)は、江戸青山にあった当山修験の諸国総袈裟頭・江戸触頭を務めた真言宗寺院。本尊は不動明王(江戸名所図会)。元は戒定院(戒定慧院)と言ったが、大和・鳳閣寺を兼務してから鳳閣寺を称するようになった。 廃絶。
観応年間、伊豆にあった。向因山実相寺吉蔵院と称した。のち1699年(元禄12年)、俊尊が吉野鳳閣寺の兼務を命じられ、寺号を改めた(『東洋文庫東都歳時記』註)。浜松の二諦坊と康松院も兼務した。 湯島天満宮の下にあったが湯島聖堂の南に移転(武江年表)。1675年(延宝3年)のことか(同註)。 1786年(天明6年)1月22日、湯島神田一帯の火災で焼失(武江年表)。 1798年(寛政10年)湯島から青山梅窓院の東隣に移転(日本歴史地名大系)(武江年表では寛政11年とある)。