出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年8月12日 (月)
玄昉(げんぼう)(?-746)は奈良時代の法相宗僧侶。阿刀氏。
略歴
義淵の弟子。717年入唐。法相宗の智周に学ぶ。玄宗皇帝に謁見。五台山に巡礼。
735年、帰国。日本に初めて整った大蔵経を将来したという。法相宗第四伝。興福寺に所属。
宮中の内道場として光明皇后から海龍王寺を与えられた。
以降、政治にも関与するようになり、橘諸兄政権を支えた。しかし740年には玄昉の追放を求めて藤原広嗣が反乱を起こす。
745年11月、観世音寺に左遷。翌年死去。広嗣の怨霊に取り殺されたと伝える。
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