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白峰寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年7月3日 (土)

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'''白峰寺'''(しろみねじ)は、愛媛県坂出市にある[[崇徳天皇]]ゆかりの[[真言宗]]寺院。[[四国八十八所霊場]]第81番札所。[[崇徳天皇陵]]が隣接する。本尊は[[千手観音]]。[[真言宗御室派]]。'''白峯寺'''
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[[File:白峰寺_(14).jpg|thumb|400px|本堂]]
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'''白峰寺'''(しろみねじ)は、香川県坂出市青海町(讃岐国阿野郡)にある[[崇徳天皇]]ゆかりの[[真言宗]]寺院。[[四国八十八所霊場]]第81番札所。[[崇徳天皇陵]]が隣接する。本尊は[[千手観音]]。[[真言宗御室派]]。別格本山。'''洞林院'''。'''白峯寺'''。山号は綾松山。
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近くに[[青海神社]]、[[讃岐・高家神社]]、[[白峰宮]]、[[鼓岡神社]]などがある。
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==歴史==
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815年(弘仁6年)、[[空海]]が白峰山に登り、如意宝珠を埋め、閼伽井を掘ったという。
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860年(貞観2年)10月、瀬戸海に流木が出現し、光明を放ち香りをただよわせた。讃岐国司は唐から帰国して[[讃岐・金倉寺]]にいた[[円珍]]に調べさせたところ、円珍はこの山で白髪の翁に遭った。翁の正体は地主神で、神託をなし、円珍は流木を彫って千手観音を祀った。
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1156年(保元1年)、保元の乱に敗れた崇徳天皇は讃岐に配流となり、1164年(長寛2年)8月26日に鼓岡の木丸御所で崩御した。遺詔により白峰山の稚児嶽で火葬し陵墓を築いた。
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1166年(仁安1年)[[西行]]が陵墓を参詣した。平時忠も参詣した。
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崇徳院はたびたび霊異を示したので歴代の天皇武家が崇敬した。1191年(建久2年)、崇徳院近臣の章実が木丸御所を陵墓に移築して法華三昧堂(霊廟)とし、崇徳院御影画像を祀ったという。『玉葉』1191年(建久2年)閏12月14日条によると、[[後白河上皇]]の病気平癒祈願のため、崇徳上皇と[[安徳天皇]]の没地に堂宇を建て菩提を弔うように命じられている。また[[後嵯峨天皇]]の勅願で千手院堂を建立したとされる。
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1278年(弘安1年)十三重石塔建立。1324年(正中1年)十三重石塔建立。
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1267年(文永4年)銘の石灯籠や1321年(元亨1年)銘の下乗石もある。
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1374年(文中3年/応安7年)細川頼之が崇徳院御影堂法楽和歌を奉納。以後、法楽和歌の奉納がたびたび行われるようになる。
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1382年(弘和2年/永徳2年)落雷で焼失。
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1387年(元中4年/嘉慶1年)細川頼之が[[白牛寺]]の本尊を迎えて再興した。
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1414年(応永21年)12月21日、細川満元の請願、足利義持の執奏で[[後小松天皇]]は霊廟に「頓証寺」の号を贈り、勅額を奉納した。
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1586年(天正14年)、仙石秀久が寺領100石を寄進。翌年生駒近規は50石を寄進した。
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1680年(延宝8年)、藩主松平頼重が現在の頓証寺殿を再建。
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1599年(慶長4年)現在の本堂再建
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1811年(文化8年)現在の大師堂再建。
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1868年(明治1年)8月25日、崇徳院霊廟の御霊代である御影を京都[[白峰神宮]]に迎えるため、[[明治天皇]]の勅使が参向。付属の霊宝類も持ち帰る予定だったが、白峰寺住職はこれに抗して遺愛の笙以外は残された。
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しかし1873年(明治6年)10月、住職が還俗して陵墓の陵掌となり、寺は無住となった。
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1875年(明治8年)4月、堂塔の撤去を申請するまでに至った。
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1877年(明治10年)3月、[[金刀比羅宮]]は、霊廟を改め神社とし、金刀比羅宮の摂社とすることを内務省に請願。翌年3月に許可され、4月に霊廟は金刀比羅宮境外摂社の[[白峰神社]]となった。そして霊宝が金刀比羅宮に引き渡された。地元はこれを憂い、1898年(明治31年)9月、霊廟は白峰寺に返還された。白峰神社の神霊は金刀比羅宮境内に遷座し、新たに社殿が建てられた。
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==境内==
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*本堂:本尊は千手観音。愛染明王と馬頭観音を脇侍とする。現在の堂宇は1599年(慶長4年)に生駒近親が再建。
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*大師堂:本尊は空海。稚児大師と青面金剛を脇侍とする。現在の堂宇は1811年(文化8年)に松平頼儀が再建。
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*瑜祇塔:本堂の脇にある。
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*善女龍王社:
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*地蔵堂:
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*九社明神?:
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*阿弥陀堂:本尊は阿弥陀三尊
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*行者堂:本尊は役小角
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*薬師堂:本尊は薬師如来と金剛界大日如来・胎蔵界大日如来。
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*回向堂:納骨堂を兼ねる
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*鐘楼堂:
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*[[崇徳天皇陵]]:皇室治定。地元では白峰御陵(白峯御陵)と呼ばれている。
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*[[頓証寺殿]]:1680年(延宝8年)、藩主松平頼重が再建。
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**崇徳天皇御廟
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**観音堂
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**相模坊大権現
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*崇徳天皇陵遥拝所:拝殿の傍にある。
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*勅願門:
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*西行像:小さな石像
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*弁財天
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*護摩堂
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*本坊
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*客殿
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*稲荷
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*十三重石塔:1278年(弘安1年)建立。源頼朝が崇徳上皇の供養のために建てたという。
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*十三重石塔:1324年(正中1年)建立。
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2021年7月3日 (土) 時点における最新版

本堂

白峰寺(しろみねじ)は、香川県坂出市青海町(讃岐国阿野郡)にある崇徳天皇ゆかりの真言宗寺院。四国八十八所霊場第81番札所。崇徳天皇陵が隣接する。本尊は千手観音真言宗御室派。別格本山。洞林院白峯寺。山号は綾松山。

近くに青海神社讃岐・高家神社白峰宮鼓岡神社などがある。

歴史

崇徳天皇陵
崇徳天皇を祀る頓証寺殿。陵墓に隣接する
御成門

815年(弘仁6年)、空海が白峰山に登り、如意宝珠を埋め、閼伽井を掘ったという。 860年(貞観2年)10月、瀬戸海に流木が出現し、光明を放ち香りをただよわせた。讃岐国司は唐から帰国して讃岐・金倉寺にいた円珍に調べさせたところ、円珍はこの山で白髪の翁に遭った。翁の正体は地主神で、神託をなし、円珍は流木を彫って千手観音を祀った。

1156年(保元1年)、保元の乱に敗れた崇徳天皇は讃岐に配流となり、1164年(長寛2年)8月26日に鼓岡の木丸御所で崩御した。遺詔により白峰山の稚児嶽で火葬し陵墓を築いた。 1166年(仁安1年)西行が陵墓を参詣した。平時忠も参詣した。

崇徳院はたびたび霊異を示したので歴代の天皇武家が崇敬した。1191年(建久2年)、崇徳院近臣の章実が木丸御所を陵墓に移築して法華三昧堂(霊廟)とし、崇徳院御影画像を祀ったという。『玉葉』1191年(建久2年)閏12月14日条によると、後白河上皇の病気平癒祈願のため、崇徳上皇と安徳天皇の没地に堂宇を建て菩提を弔うように命じられている。また後嵯峨天皇の勅願で千手院堂を建立したとされる。 1278年(弘安1年)十三重石塔建立。1324年(正中1年)十三重石塔建立。 1267年(文永4年)銘の石灯籠や1321年(元亨1年)銘の下乗石もある。

1374年(文中3年/応安7年)細川頼之が崇徳院御影堂法楽和歌を奉納。以後、法楽和歌の奉納がたびたび行われるようになる。 1382年(弘和2年/永徳2年)落雷で焼失。 1387年(元中4年/嘉慶1年)細川頼之が白牛寺の本尊を迎えて再興した。 1414年(応永21年)12月21日、細川満元の請願、足利義持の執奏で後小松天皇は霊廟に「頓証寺」の号を贈り、勅額を奉納した。 1586年(天正14年)、仙石秀久が寺領100石を寄進。翌年生駒近規は50石を寄進した。 1680年(延宝8年)、藩主松平頼重が現在の頓証寺殿を再建。

1599年(慶長4年)現在の本堂再建 1811年(文化8年)現在の大師堂再建。

1868年(明治1年)8月25日、崇徳院霊廟の御霊代である御影を京都白峰神宮に迎えるため、明治天皇の勅使が参向。付属の霊宝類も持ち帰る予定だったが、白峰寺住職はこれに抗して遺愛の笙以外は残された。 しかし1873年(明治6年)10月、住職が還俗して陵墓の陵掌となり、寺は無住となった。 1875年(明治8年)4月、堂塔の撤去を申請するまでに至った。 1877年(明治10年)3月、金刀比羅宮は、霊廟を改め神社とし、金刀比羅宮の摂社とすることを内務省に請願。翌年3月に許可され、4月に霊廟は金刀比羅宮境外摂社の白峰神社となった。そして霊宝が金刀比羅宮に引き渡された。地元はこれを憂い、1898年(明治31年)9月、霊廟は白峰寺に返還された。白峰神社の神霊は金刀比羅宮境内に遷座し、新たに社殿が建てられた。

境内

  • 本堂:本尊は千手観音。愛染明王と馬頭観音を脇侍とする。現在の堂宇は1599年(慶長4年)に生駒近親が再建。
  • 大師堂:本尊は空海。稚児大師と青面金剛を脇侍とする。現在の堂宇は1811年(文化8年)に松平頼儀が再建。
  • 瑜祇塔:本堂の脇にある。
  • 善女龍王社:
  • 地蔵堂:
  • 九社明神?:
  • 阿弥陀堂:本尊は阿弥陀三尊
  • 行者堂:本尊は役小角
  • 薬師堂:本尊は薬師如来と金剛界大日如来・胎蔵界大日如来。
  • 回向堂:納骨堂を兼ねる
  • 鐘楼堂:
  • 崇徳天皇陵:皇室治定。地元では白峰御陵(白峯御陵)と呼ばれている。
  • 頓証寺殿:1680年(延宝8年)、藩主松平頼重が再建。
    • 崇徳天皇御廟
    • 観音堂
    • 相模坊大権現
  • 崇徳天皇陵遥拝所:拝殿の傍にある。
  • 勅願門:
  • 西行像:小さな石像


  • 弁財天
  • 護摩堂
  • 本坊
  • 客殿
  • 稲荷
  • 十三重石塔:1278年(弘安1年)建立。源頼朝が崇徳上皇の供養のために建てたという。
  • 十三重石塔:1324年(正中1年)建立。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%99%BD%E5%B3%B0%E5%AF%BA」より作成

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