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真宗大谷派四日市別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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真宗大谷派四日市別院(しんしゅうおおたには・よっかいち・べついん)は、大分県宇佐市にある真宗大谷派の別院。九州御坊。四日市御坊。旧称は真勝寺。宇佐八幡宮関連旧跡(参考:同名寺院四日市別院)
歴史
大友家配下の渡辺統綱が永禄5年(1562)、本願寺11代顕如に帰依して専養と名乗り、宇佐郡山本村に真勝寺を創建したのが始まり。廃寺となっていた虚空蔵寺を利用したとも(日本歴史地名大系)。元文3年(1738)、真勝寺騒動が起こる。当時の住職宗順は不行跡のため本山から隠居を命じられたが、西本願寺に転派して免れようとした。寺内の争いは東西宗派間の紛争となり、幕府の裁断を仰ぐこととなった。寛保3年(1743)、寺社奉行は裁決を下し、宗順を遠島、真勝寺は没収とされた。翌年、改めて真勝寺は東本願寺に与えられ、東本願寺はこれを掛所とし、四日市御坊とした。のち延享3年(1746)には西本願寺も御坊(四日市別院)を創建している。文政8年(1825)に本堂が再建されるが、明治元年(1868)1月14日、山口藩浪人など勤皇の志士が陣屋を襲撃した御許騒動が起こり、本堂は焼失した。明治13年(1880)に再建された。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部