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真宗大谷派天満別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月29日 (木)
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享保9年(1724)の大坂大火、天保8年(1837)の大塩平八郎の乱、昭和20年(1945)の大阪空襲でたびたび焼失した。戦後は昭和35年(1960)に再建されたが、平成12年(2000)に新本堂が建立された。 | 享保9年(1724)の大坂大火、天保8年(1837)の大塩平八郎の乱、昭和20年(1945)の大阪空襲でたびたび焼失した。戦後は昭和35年(1960)に再建されたが、平成12年(2000)に新本堂が建立された。 | ||
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*木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部 | *木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部 | ||
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2023年6月29日 (木) 時点における最新版
真宗大谷派天満別院(しんしゅうおおたには・てんま・べついん)は、大阪府大阪市北区にある真宗大谷派の別院。天満御坊。(参考:同名寺院天満御坊)
歴史
本願寺12代教如が慶長6年(1601)に天満本願寺跡に創建。教如が天満あたりに設けた大谷本願寺が慶長3年(1598)に城下町整備で現在の御堂筋の地に移転した後、改めて天満の地に拠点を設けた。当初は現在の大阪造幣局あたりにあったが慶長13年(1608)に現在地に移転した。大阪天満宮の東に当たる。さらに東側には川崎東照宮があった。
慶長7年の東本願寺創建後は教如は仏照寺祐恵に託した。天保6年(1835)に輪番制になるまで仏照寺(茨木市)歴代が留守居となった。 享保9年(1724)の大坂大火、天保8年(1837)の大塩平八郎の乱、昭和20年(1945)の大阪空襲でたびたび焼失した。戦後は昭和35年(1960)に再建されたが、平成12年(2000)に新本堂が建立された。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部