ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

真宗大谷派赤野井別院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年11月28日 (土)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
1行: 1行:
-
'''真宗大谷派赤野井別院'''(しんしゅうおおたには・あかのい・べついん)は、滋賀県守山市にある[[真宗大谷派]]の[[真宗大谷派の別院寺院|別院]]。'''赤野井御坊'''。(参考:同名寺院[[赤野井別院]])
+
'''真宗大谷派赤野井別院'''(しんしゅうおおたには・あかのい・べついん)は、滋賀県守山市赤野井町にある[[真宗大谷派]]の[[真宗大谷派の別院寺院|別院]]。'''赤野井御坊'''。(参考:同名寺院[[赤野井別院]])
== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[教如]]の[[東本願寺]]創立に伴い、湖南地域の60寺が協力して創建された。
[[教如]]の[[東本願寺]]創立に伴い、湖南地域の60寺が協力して創建された。
-
西本願寺に着いた[[本願寺赤野井別院]]を管理する一人だった伊賀坊了誓が離れて別に建てた御堂が起源という見方もある(日本歴史地名大系)。
+
[[本願寺赤野井別院]]は[[西本願寺]]側に付いたが、別院を管理する一人だった専念寺の伊賀坊了誓が離れて別に建てた御堂が起源という見方もある(日本歴史地名大系)。
-
寛文年間(1661-1673)、東本願寺14代琢如息子の'''恵明院如晴'''が入寺して'''赤野井御坊大恩寺'''と称する。現本堂は文化6年(1809)の再建。
+
寛文年間(1661-1673)、東本願寺14代琢如息子の'''恵明院如晴'''が入寺して'''赤野井御坊大恩寺'''と称する。現本堂は1809年(文化6年)の再建。
[[教如墓_赤野井分骨所|教如御廟]]がある。
[[教如墓_赤野井分骨所|教如御廟]]がある。

2020年11月28日 (土) 時点における最新版

真宗大谷派赤野井別院(しんしゅうおおたには・あかのい・べついん)は、滋賀県守山市赤野井町にある真宗大谷派別院赤野井御坊。(参考:同名寺院赤野井別院

歴史

教如東本願寺創立に伴い、湖南地域の60寺が協力して創建された。 本願寺赤野井別院西本願寺側に付いたが、別院を管理する一人だった専念寺の伊賀坊了誓が離れて別に建てた御堂が起源という見方もある(日本歴史地名大系)。

寛文年間(1661-1673)、東本願寺14代琢如息子の恵明院如晴が入寺して赤野井御坊大恩寺と称する。現本堂は1809年(文化6年)の再建。

教如御廟がある。 別院の東隣に専念寺がある。

参考文献

  • 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E8%B5%A4%E9%87%8E%E4%BA%95%E5%88%A5%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール