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禅智院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年2月27日 (日)

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'''禅智院'''(ぜんちいん)は、滋賀県高島市にある[[臨済宗]]寺院。中世は[[尼門跡]]だったが、江戸時代には門跡扱いはされていない。
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'''禅智院'''(ぜんちいん)は、滋賀県高島市にある[[臨済宗]]寺院。本尊は[[地蔵菩薩]]。中世は[[尼門跡]]だったが、江戸時代には門跡扱いはされていない。[[水尾神社]]別当。近代には尼門跡に準ずる[[御由緒寺院]]となった。[[臨済宗南禅寺派]]。高島尼御所。近江御所。山号は初杣山。
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== 歴史 ==
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1280年(弘安3年)、鐘山道栄が創建。以後、[[水尾神社]]の別当となる。
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元は[[通玄寺]]末だった。
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1510年、細川高国が禁制制札を立てた。
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1567年(永禄10年)、龍渓聖玉が復興。[[伏見宮]]出身の女性皇族が住職を務めることが多かった。近世中期以降は[[霊鑑寺門跡]]が兼務した。
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寺領朱印地122石。
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(『日本歴史地名大系』ほか)
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== 組織 ==
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===住職===
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*1鐘山道栄女王()<>:将軍[[宗尊親王]]王女。
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*1龍渓聖玉女王(?-1611)<>:中興。[[伏見宮]]邦輔親王王女。1611年(慶長16年)10月14日死去。湲渓聖玉とも。
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*2円珠聖栄女王(?-1629)<>:伏見宮邦房親王王女。1629年(寛永6年)12月12日死去。
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*3雲嶺聖慶女王(?-1642)<>:伏見宮貞清親王王女。1631年(寛永8年)11月26日[[曇華院]]で喝食登壇。1638年(寛永15年)11月21日、祝髪受戒。1642年(寛永19年)7月21日死去。
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*4豊安聖竺女王(1634-1670)<>:伏見宮貞清親王王女。初名は豊安聖隆。のち[[曇華院門跡]]に転住して仙岳聖竺に改名。
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*5光運聖貞()<>:久我広道の娘。
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*6仰堂聖高()<>:三条実治の娘。
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*7祥山宗真女王(1715-1763)<>:伏見宮邦永親王王女。本務は[[霊鑑寺門跡]]3世。
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*8観山宗恭女王(1769-1821)<>:霊鑑寺4世。閑院宮典仁親王第二王女。歓山とも。
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*9法山宗諄女王(1816-1890)<>:霊鑑寺5世。伏見宮貞敬親王王女。
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*平賀祖心()<>:本務は[[霊鑑寺]]。(「尼門跡の言語生活からみた女房詞の研究」)
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「陵墓陵印掲示板」も参照[https://8918.teacup.com/ryobo/bbs/926]
[[category:滋賀県]]
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2022年2月27日 (日) 時点における最新版

禅智院(ぜんちいん)は、滋賀県高島市にある臨済宗寺院。本尊は地蔵菩薩。中世は尼門跡だったが、江戸時代には門跡扱いはされていない。水尾神社別当。近代には尼門跡に準ずる御由緒寺院となった。臨済宗南禅寺派。高島尼御所。近江御所。山号は初杣山。

歴史

1280年(弘安3年)、鐘山道栄が創建。以後、水尾神社の別当となる。 元は通玄寺末だった。 1510年、細川高国が禁制制札を立てた。 1567年(永禄10年)、龍渓聖玉が復興。伏見宮出身の女性皇族が住職を務めることが多かった。近世中期以降は霊鑑寺門跡が兼務した。 寺領朱印地122石。 (『日本歴史地名大系』ほか)

組織

住職

  • 1鐘山道栄女王()<>:将軍宗尊親王王女。
  • 1龍渓聖玉女王(?-1611)<>:中興。伏見宮邦輔親王王女。1611年(慶長16年)10月14日死去。湲渓聖玉とも。
  • 2円珠聖栄女王(?-1629)<>:伏見宮邦房親王王女。1629年(寛永6年)12月12日死去。
  • 3雲嶺聖慶女王(?-1642)<>:伏見宮貞清親王王女。1631年(寛永8年)11月26日曇華院で喝食登壇。1638年(寛永15年)11月21日、祝髪受戒。1642年(寛永19年)7月21日死去。
  • 4豊安聖竺女王(1634-1670)<>:伏見宮貞清親王王女。初名は豊安聖隆。のち曇華院門跡に転住して仙岳聖竺に改名。
  • 5光運聖貞()<>:久我広道の娘。
  • 6仰堂聖高()<>:三条実治の娘。
  • 7祥山宗真女王(1715-1763)<>:伏見宮邦永親王王女。本務は霊鑑寺門跡3世。
  • 8観山宗恭女王(1769-1821)<>:霊鑑寺4世。閑院宮典仁親王第二王女。歓山とも。
  • 9法山宗諄女王(1816-1890)<>:霊鑑寺5世。伏見宮貞敬親王王女。
  • 平賀祖心()<>:本務は霊鑑寺。(「尼門跡の言語生活からみた女房詞の研究」)

「陵墓陵印掲示板」も参照[1]

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