ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

立本寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?子院)
1行: 1行:
[[ファイル:Sdre-063.JPG|thumb|350px]]
[[ファイル:Sdre-063.JPG|thumb|350px]]
-
'''立本寺'''(りゅうほんじ)は、京都府京都市上京区一番町にある[[日蓮宗]]の[[日蓮宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は[[十界曼荼羅]]。[[洛中法華二十一寺]]の一つ。[[四条門流]]。[[日蓮宗久遠寺派]]由緒寺院・本山。[[妙顕寺]]から分かれて成立した。[[日像]]ゆかりの三具足の一つ。'''櫛笥龍華院'''と号す。山号は具足山。
+
'''立本寺'''(りゅうほんじ)は、京都府京都市上京区一番町にある[[日蓮宗]]の[[日蓮宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は[[十界曼荼羅]]。[[洛中法華二十一寺]]の一つ。[[四条門流]]。[[日蓮宗久遠寺派]]由緒寺院・本山。[[妙顕寺]]から分かれて成立した。[[日像]]ゆかりの三具足の一つ。'''櫛笥龍華院'''と号す。当初は'''本応寺'''と称した。山号は具足山。
堺の[[櫛笥寺]]と関係が深い。
堺の[[櫛笥寺]]と関係が深い。
 +
 +
==歴史==
 +
===妙顕寺からの分立===
 +
室町時代、[[延暦寺]]勢力に破壊された妙顕寺を再興する過程の混乱で、同寺から分立したのが起源。
 +
 +
遡ると1321年(元亨1年)、[[日像]]が京都最初の日蓮宗寺院として四条櫛笥に妙顕寺を創建。1387年(元中4年/嘉慶1年)、妙顕寺は延暦寺衆徒に破却され、1393年(明徳4年)将軍から姉小路堀川の寺地を寄進され再興し妙本寺と改称した。
 +
 +
1413年(応永20年)、当時の住職である月明が僧正に補任されたことが延暦寺衆徒を刺激し、妙本寺(妙顕寺)は再度、破壊され、月明は丹波に逃れた。
 +
 +
1416年(応永23年)、京都に残った寺僧・信徒は、妙顕寺発祥の地である四条櫛笥に本応寺を建て、月明の帰還に備えた。月明も弟子の具円を京都に派遣し、復興に当たらせたが、本応寺門徒の一部が具円に反発して離れ、別に五条大宮に本仏寺を建てた。月明は融和を呼びかけ、一旦反発した本仏寺は矛を収めて月明に従ったが、今度は逆に本応寺が月明に従わず、貴族出身の日実([[妙覚寺]]日実とは別人)を住職に擁立して、延暦寺の末寺となり、立本寺と改称した。月明は本仏寺に入寺し、妙本寺を再興した(のちに妙顕寺と改称)。
 +
 +
===独立後===
 +
立本寺が延暦寺の末寺となったのは初期のわずかな期間だけだったらしく、まもなく離末した。
 +
1496年(明応5年)6月、[[後土御門天皇]]の勅願所となる(平安通志)。
 +
1536年(天文5年)の天文法難で延暦寺衆徒に破壊され、堺の本敬寺(現[[櫛笥寺]])に避難。のち京都に再興した。文禄年間、[[豊臣秀吉]]の命で京極今出川(京都市上京区立本寺前町)に移転。1708年(宝永5年)の宝永の大火で焼失。現在地に移転した。
 +
 +
歴代住職は[[伏見宮]]の猶子となった(平安通志)。
 +
[[後水尾法皇]]が御幸して日審の法話を聞き、山鳩色の法衣と客殿(園林堂)を賜った。
 +
1633年(寛永10年)の末寺帳では20寺、1745年(延享2年)では子院27寺、末寺70寺があった。
 +
 +
(日本歴史地名大系、国史大辞典ほか)
 +
 +
==伽藍==
 +
*本堂:
 +
*祖師堂:「冑の御影」を祀る。
 +
*刹堂:[[鬼子母神]]を祀る。
 +
*開山堂:
 +
*妙見堂:
 +
*経蔵:
 +
== 子院 ==
== 子院 ==
[[ファイル:Sdre-102.JPG|thumb|350px|刹堂]]
[[ファイル:Sdre-102.JPG|thumb|350px|刹堂]]

2020年1月27日 (月) 時点における版

Sdre-063.JPG

立本寺(りゅうほんじ)は、京都府京都市上京区一番町にある日蓮宗本山寺院。本尊は十界曼荼羅洛中法華二十一寺の一つ。四条門流日蓮宗久遠寺派由緒寺院・本山。妙顕寺から分かれて成立した。日像ゆかりの三具足の一つ。櫛笥龍華院と号す。当初は本応寺と称した。山号は具足山。

堺の櫛笥寺と関係が深い。

目次

歴史

妙顕寺からの分立

室町時代、延暦寺勢力に破壊された妙顕寺を再興する過程の混乱で、同寺から分立したのが起源。

遡ると1321年(元亨1年)、日像が京都最初の日蓮宗寺院として四条櫛笥に妙顕寺を創建。1387年(元中4年/嘉慶1年)、妙顕寺は延暦寺衆徒に破却され、1393年(明徳4年)将軍から姉小路堀川の寺地を寄進され再興し妙本寺と改称した。

1413年(応永20年)、当時の住職である月明が僧正に補任されたことが延暦寺衆徒を刺激し、妙本寺(妙顕寺)は再度、破壊され、月明は丹波に逃れた。

1416年(応永23年)、京都に残った寺僧・信徒は、妙顕寺発祥の地である四条櫛笥に本応寺を建て、月明の帰還に備えた。月明も弟子の具円を京都に派遣し、復興に当たらせたが、本応寺門徒の一部が具円に反発して離れ、別に五条大宮に本仏寺を建てた。月明は融和を呼びかけ、一旦反発した本仏寺は矛を収めて月明に従ったが、今度は逆に本応寺が月明に従わず、貴族出身の日実(妙覚寺日実とは別人)を住職に擁立して、延暦寺の末寺となり、立本寺と改称した。月明は本仏寺に入寺し、妙本寺を再興した(のちに妙顕寺と改称)。

独立後

立本寺が延暦寺の末寺となったのは初期のわずかな期間だけだったらしく、まもなく離末した。 1496年(明応5年)6月、後土御門天皇の勅願所となる(平安通志)。 1536年(天文5年)の天文法難で延暦寺衆徒に破壊され、堺の本敬寺(現櫛笥寺)に避難。のち京都に再興した。文禄年間、豊臣秀吉の命で京極今出川(京都市上京区立本寺前町)に移転。1708年(宝永5年)の宝永の大火で焼失。現在地に移転した。

歴代住職は伏見宮の猶子となった(平安通志)。 後水尾法皇が御幸して日審の法話を聞き、山鳩色の法衣と客殿(園林堂)を賜った。 1633年(寛永10年)の末寺帳では20寺、1745年(延享2年)では子院27寺、末寺70寺があった。

(日本歴史地名大系、国史大辞典ほか)

伽藍

  • 本堂:
  • 祖師堂:「冑の御影」を祀る。
  • 刹堂:鬼子母神を祀る。
  • 開山堂:
  • 妙見堂:
  • 経蔵:

子院

刹堂
  • 教法院:現存か。
  • 光源院:現存か。
  • 大林院:
  • 動持院:
  • 清浄院:
  • 良泉院:
  • 縁了坊:
  • 実円坊:
  • 本妙坊:
  • 正行坊:正行院。現存か。
  • 智積坊:
  • 玉泉坊:
  • 覚成坊:
  • 大乗坊:
  • 智成坊:
  • 霊仙坊:

(以上『政教中正論』[1]

  • 大輪院:現存か。

(日本歴史地名大系)

組織

歴代

  • 5日実(?-1458)<>:裏辻家の出身という。玄式。
  • 6
  • 7
  • 日蹄()<>:関白九条政忠の子。
  • 日胤()
  • 8日経()<>:
  • 9日俊(?-1517)<>:櫛司寺で死去。
  • 10日生(1553-1595)<>:教蔵院。播磨出身。日経の弟子。飯高檀林開祖。1574年(天正2年)、本涌寺を創建。
  • 11日抽(?-1607)<>:東漸院。勧修寺晴右の三男。
  • 日純
  • 日祐(?-1606)<>:小西檀林開祖。日生の弟子。
  • 日弘
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16日英(1584-1647)<>:本学院。本覚院。
  • 17日泰()<>:仙洞院。
  • 18
  • 19日遥()<>:
  • 20日審(1599-1666)<1647-1659>:霊鷲院。文嘉。1647年(正保4年)立本寺。1659年(万治2年)引退。六条檀林玄能6世。上京慧光寺3世。堺櫛笥寺8世。谷中妙情寺5世。1666年(寛文6年)3月15日死去。68歳。
  • 21日芳(1620-1670)<>:養寿院。日耀の弟子。六条檀林玄能8世。慧光寺6世。山梨円明寺1世。1670年(寛文10年)7月15日死去。51歳。
  • 22日脱(1626-1698)<>:身延31世。
  • 23日通(1621-1701)<>:正善院。松崎檀林化主。宝塔寺12世。
  • 日〓(1640-1701)<>:〓は「台」にしんにょう。寂如院。誕生寺21世。日芳、日脱に師事。松崎檀林化主。
  • 25日享(1646-1721)<>:身延33世。1660年(万治3年)山科檀林、1687年(貞享4年)妙伝寺、1689年(元禄2年)立本寺、飯高檀林、満願寺、久遠寺。
  • 24日忍(1650-1724)<>:慈広院。京都出身。日芳に師事。山科檀林、飯高檀林化主。
  • 29日真(?-1722)<>:十門院。六条檀林玄能38世。真間20世。立本寺29世。伊丹本泉寺11世。1722年(享保7年)1月17日死去。
  • 37日啓(1714-1774)<>:晃見院。六条檀林玄能104世。立本寺37世。松崎98世。1774年(安永3年)12月25日死去。61歳。
  • 44日延(1755-1836)<>:神妙院。
  • 日禅(?-1825)<>:摂心院。六条檀林玄能164世。三重仏現寺21世。堺成就寺29世。1825年(文政8年)9月12日死去。
  • 50日到()<>:
  • 55日伸()<>:
  • 66日運()<>:
  • 風間日法(1861-1938):日蓮宗管長。随学。
  • 細井友晋(1906-1990)<1951->:京都宗教者平和協議会理事長。
  • 上田日瑞()<>:尚正。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%AB%8B%E6%9C%AC%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール