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興福寺一乗院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2015年7月26日 (日) 時点における版
一乗院(いちじょういん)は、奈良県奈良市の法相宗興福寺の別当を務めた門跡寺院。廃絶。本尊は阿弥陀如来と大日如来(「興福寺諸堂縁起」)。「橘御殿」「長講堂」とも呼ばれた。宮門跡。(参考 同名寺院一乗院、長講堂 (同名))
天禄年間(970-973)に定昭が創建。関白藤原師実の子の覚信が入寺して、門跡となる(兄弟の尋範は大乗院門跡に入寺した)。室町幕府最後の将軍の足利義昭が就任前に門跡を務めていた。 大乗院と交互に別当を務めた。久邇宮朝彦親王は40代一乗院門跡尊応法親王だった。 最後の門跡である応昭は、還俗し、華族に列せられ水谷川忠起となり、春日大社宮司となった。跡地は奈良地方裁判所となっている。 宸殿が唐招提寺に移築されて現存。
東大寺にある一乗院宮東大寺墓地と喜光寺にある一乗院宮喜光寺墓地がある。