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興福寺一乗院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2015年2月20日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
一乗院(いちじょういん)は、奈良県奈良市の法相宗興福寺の別当を務めた門跡寺院。廃絶。本尊は阿弥陀如来と大日如来(「興福寺諸堂縁起」)。「橘御殿」「長講堂」とも呼ばれた。宮門跡。(参考 同名寺院一乗院、長講堂 (同名))
天禄年間(970-973)に定昭が創建。関白藤原師実の子の覚信が入寺して、門跡となる(兄弟の尋範は大乗院門跡に入寺した)。室町幕府最後の将軍の足利義昭が就任前に門跡を務めていた。 大乗院と交互に別当を務めた。久邇宮朝彦親王は40代一乗院門跡尊応法親王だった。 最後の門跡である応昭は、還俗し、華族に列せられ水谷川忠起となり、春日大社宮司となった。跡地は奈良地方裁判所となっている。 宸殿が唐招提寺に移築されて現存。