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興福寺禅定院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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興福寺僧で元興寺別当を務めた成源(1004-1058)が元興寺の子院として創建した。元興寺別院だった[[禅院寺]]の後身ともいう。 | 興福寺僧で元興寺別当を務めた成源(1004-1058)が元興寺の子院として創建した。元興寺別院だった[[禅院寺]]の後身ともいう。 | ||
早くから興福寺の支配下にあったらしく大乗院開山の隆禅が2代となり、以後、大乗院院主が禅定院を兼務した。 | 早くから興福寺の支配下にあったらしく大乗院開山の隆禅が2代となり、以後、大乗院院主が禅定院を兼務した。 | ||
- | + | 大乗院2世の頼実が永久年間(1113-1117)に禅定院伽藍を造営している。 | |
治承4年(1180)の南都焼討で、現在の奈良県庁あたりにあった大乗院門跡が焼失すると、翌年、大乗院4世の信円(1153-1224)が禅定院に住むようになり、禅定院は興福寺内に擬せられた。 | 治承4年(1180)の南都焼討で、現在の奈良県庁あたりにあった大乗院門跡が焼失すると、翌年、大乗院4世の信円(1153-1224)が禅定院に住むようになり、禅定院は興福寺内に擬せられた。 | ||
やがて大乗院に吸収されたとみられるが、名目上は禅定院も存続していた形になっていたようだ。 | やがて大乗院に吸収されたとみられるが、名目上は禅定院も存続していた形になっていたようだ。 |
2017年12月3日 (日) 時点における版
禅定院は、平城京にあった法相宗寺院。興福寺の子院。元は元興寺の子院。本尊は弥勒如来(「興福寺諸堂縁起」)。元興寺の東側にあった。のち大乗院門跡に吸収された。興福寺関連旧跡・元興寺関連旧跡。(参考:同名寺院禅定院)
歴史
興福寺僧で元興寺別当を務めた成源(1004-1058)が元興寺の子院として創建した。元興寺別院だった禅院寺の後身ともいう。 早くから興福寺の支配下にあったらしく大乗院開山の隆禅が2代となり、以後、大乗院院主が禅定院を兼務した。 大乗院2世の頼実が永久年間(1113-1117)に禅定院伽藍を造営している。 治承4年(1180)の南都焼討で、現在の奈良県庁あたりにあった大乗院門跡が焼失すると、翌年、大乗院4世の信円(1153-1224)が禅定院に住むようになり、禅定院は興福寺内に擬せられた。 やがて大乗院に吸収されたとみられるが、名目上は禅定院も存続していた形になっていたようだ。 大乗院となった禅定院は宝徳の土一揆で焼失。その後、尋尊が再建した。
参考文献
- 『南都七大寺の歴史と年表』
- 「旧大乗院庭園の調査」[1]