ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

西園寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
2行: 2行:
==歴史==
==歴史==
 +
[[file:Kokudo0246.jpg|thumb|300px|現在の金閣寺(国土地理院空中写真より)]]
1220年(承久2年)11月、西園寺公経が北山第と共に造営を始め、1224年(元仁1年)12月2日、北白河院陳子、安嘉門院邦子が臨席して[[仁和寺門跡]]による落慶法要が営まれた(百錬抄)。『増鏡』は[[藤原道長]]の[[法成寺]]を勝る大伽藍だと評した。北山第とは一体的な構成だったようだ、
1220年(承久2年)11月、西園寺公経が北山第と共に造営を始め、1224年(元仁1年)12月2日、北白河院陳子、安嘉門院邦子が臨席して[[仁和寺門跡]]による落慶法要が営まれた(百錬抄)。『増鏡』は[[藤原道長]]の[[法成寺]]を勝る大伽藍だと評した。北山第とは一体的な構成だったようだ、
1281年(弘安4年)6月2日、東二条院公子(後深草天皇妃)が西園寺法水院で父の西園寺実氏の13年忌をを執行。
1281年(弘安4年)6月2日、東二条院公子(後深草天皇妃)が西園寺法水院で父の西園寺実氏の13年忌をを執行。

2020年8月30日 (日) 時点における版

西園寺(さいおんじ)は、京都府京都市上京区高徳寺町にある浄土宗寺院。現在の金閣寺の地に創建された真言宗の大寺院だった。西園寺家の菩提寺。浄土宗知恩院派。竹林院。山号は宝樹山。

目次

歴史

現在の金閣寺(国土地理院空中写真より)

1220年(承久2年)11月、西園寺公経が北山第と共に造営を始め、1224年(元仁1年)12月2日、北白河院陳子、安嘉門院邦子が臨席して仁和寺門跡による落慶法要が営まれた(百錬抄)。『増鏡』は藤原道長法成寺を勝る大伽藍だと評した。北山第とは一体的な構成だったようだ、 1281年(弘安4年)6月2日、東二条院公子(後深草天皇妃)が西園寺法水院で父の西園寺実氏の13年忌をを執行。

1284年(弘安7年)7月、後深草上皇と熙仁親王(伏見天皇)が北山第に1カ月滞在。1285年(弘安8年)、北山第で後深草上皇と亀山上皇が臨席して北山准后貞子(西園寺実氏正室)の90歳を祝った。 1362年(正平17年/貞治1年)3月13日(2月とも)から4月19日まで近江から帰還した後光厳天皇が内裏に入る前に北山第に滞在した。太平記によるとこの時、既に衰退が目立っていたという。 1380年(天授6年/康暦2年)頃、西園寺を含む北山殿は将軍足利義満が没収し、北山殿及び鹿苑寺を創建した。

1354年(正平9年/文和3年)、西園寺は室町頭(現在の京都市上京区竹園町)に移転。 1554年(天文23年)縁誉が中興して浄土宗に転じ、知恩院末となる。 1590年(天正18年)、豊臣秀吉の都市改造で現在地に移転した。 1788年(天明8年)1月の大火で類焼。のち再建。

西園寺家墓地があり、西園寺公経像(法体)を祀る。

(日本歴史地名大系、古事類苑ほか)

境内

初期

  • 本堂:本尊は阿弥陀如来。
  • 五大堂:本尊は愛染明王など。
  • 不動堂:本尊は不動明王。不動明王は摂津国から招いた生身不動という。
  • 妙音堂:本尊は妙音弁才天。現在の白雲神社
  • 宝蔵:
  • 善積院:本尊は薬師如来。
  • 功徳蔵院:本尊は地蔵菩薩。
  • 成就心院:妙音堂別当。近世に再興。
  • 法水院:
  • 化水院:池水院か
  • 無量光院:

近世以降

  • 本堂:本尊は阿弥陀如来。創建以来の西園寺の本尊という。
  • 地蔵堂:本尊は地蔵菩薩。旧功徳院(功徳蔵院?)の旧本尊という。
  • 西園寺家墓地:

資料

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール