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西教寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | * | + | *27真尚(-1857)<1848-1857>:快然。行光坊住職。1848年4月6日、西教寺住職。1857年3月11日死去。 |
- | * | + | *28真融(-1862)<1857-1862>:義光。飯室長寿院。1857年5月19日、西教寺住職。1862年6月5日死去。 |
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- | * | + | *30真朗(1836-1892)<1874-1892>:率渓考恭。越後国輿板出身。1836年1月15日生。横川禅定院住職。1870年9月7日、大僧都。1873年3月、権少教正。1874年2月18日、西教寺住職兼務となる。3月1日移住。 1976年12月12日、西教寺が本務となる。1878年(明治11年)5月7日、天台宗真盛派として独立。初代管長となる。1892年7月5日、湯治先の有馬温泉で死去。 |
- | *31真童()<>:金鑚広貫。[[大光普照寺]] | + | *31真童()<1892-1894>:金鑚広貫。[[大光普照寺]]57世。1879年4月、転派して西来寺35世となる。1892年9月30日、管長就任認可。1893年12月8日、辞意。 |
- | * | + | *32真全(?-1900)<1894-1900>:三輪澄諦。1894年、[[善光寺大勧進]]90世。転派して同年7月2日、西教寺住職に就任。8月25日、管長就任認可。1900年1月28日、真諦から真全に改名。2月8日死去。 |
- | * | + | *33真託(1838-1911)<1900-1911>:石山覚湛。伊勢国出身。1838年2月22日生。西盛寺住職。1900年6月13日、管長就任認可。17日、引接寺から西教寺に転住。1911年(明治44年)1月8日死去。74歳。 |
- | *34真紹(1856-1919)<1911-> | + | *34真紹(1856-1919)<1911-1919>:古泉性信。伊勢国安濃郡浄土寺の出身。1856年10月15日生。西福寺住職。引接寺住職を経て1911年(明治44年)3月31日、管長就任認可。4月10日、晋山式。1919年(大正8年)8月17日死去(年表では18日)。64歳。(日本人名大辞典) |
- | * | + | *35真兀(1862-1937)<1919-1937>:山田智善。高島の浄土真宗徳乗寺の出身。1862年12月6日生。引接寺住職を経て1919年10月23日管長就任認可。11月16日晋山式。1937年3月30日死去。76歳。 |
- | *36真恂()<> | + | *36真恂()<1937->:西村冏念。西来寺39世。1937年5月11日、管長選挙で当選。5月22日、管長就任認可。6月24日晋山式。天台三派合同。 |
*37真謙(-1950)<>:八耳哲道。1950年(昭和25年)12月26日死去。 | *37真謙(-1950)<>:八耳哲道。1950年(昭和25年)12月26日死去。 | ||
*38真慶()<>:蛭薙詮順。伊賀西蓮寺から西来寺40世。 | *38真慶()<>:蛭薙詮順。伊賀西蓮寺から西来寺40世。 |
2020年8月1日 (土) 時点における版
西教寺(さいきょうじ)は、滋賀県大津市の比叡山東麓にある天台宗の本山寺院。本尊は阿弥陀如来。持戒念仏を旨とする天台真盛宗の総本山。天台宗に伝わる黒谷流円頓戒の正統、法勝寺を併合し、その法脈を受け継ぐとされる。天台宗の真盛が中興開山した。良源、源信、円観の旧跡とされる。山号は戒光山。(参考:同名寺院西教寺_(同名))
目次 |
歴史
浄土教の道場
寺伝によれば、聖徳太子の創建という。一般には浄土教の先駆者、良源と源信が興したと言われる。正中2年(1325)、円観が後宇多天皇の追善のために後醍醐天皇の勅を得て整備。嘉暦2年(1327)、円観が入寺して黒谷流円頓戒の道場となり、法勝寺の末寺となる。
真盛の入寺
くだって室町時代の文明18年(1486)、持戒念仏に励んだ真盛が源信を崇敬したこともあり、請われて入寺。同年、真盛が生源寺で行った説教に横川戒心谷の僧らが感涙して招請したのであった。以後、畿内、近江、伊勢、越前などに末寺を擁し、一派の拠点として興隆。室町幕府や近江守護の庇護を受けた。元亀2年(1571)、織田信長の比叡山焼き討ちで焼失するが、明智光秀に支援を得て復興。天正2年(1674)、仮本堂を建立。
黒谷流円頓戒の継承
天正18年8月22日、後陽成天皇の勅で、既に衰退していた京都法勝寺の寺籍を西教寺に合併させ、法脈を継がせ、寺宝を移した。 文禄3年(1594)、法勝寺流に属した飯室谷の松禅院、山本坊、長寿院、円乗院の願で、同じく同流の拠点だった帝釈寺の寺地山林を継いだ。
山門支配と独立
江戸時代、明暦元年(1655)、寛永寺・日光山に輪王寺門跡が設置されると、その支配を受けた。山門執行代が管轄した。元文4年(1739)、現在の本堂を再建。寛政2年(1790)に勧学寮を設置。 明治4年、延暦寺勢は西教寺を傘下に留めようと、延暦寺別院としたが、西教寺側は反発。明治11年、天台宗真盛派として独立し、総本山を称する。昭和21年、宗名を天台真盛宗とした。 (日本歴史地名大系、国史大事典)
伽藍
- 本堂:本尊は阿弥陀如来。不断念仏が行われている。1739年上棟落成。桁行七間、梁間六間の入母屋造。欅の用材は紀伊徳川家の寄進。本尊像は平安時代の定朝様式の丈六像。本尊左右には天皇陛下の寿牌。西の脇間には良源(内側)と聖徳太子(外側)。東の脇間には善光寺如来(内側)と源信(外側)を祀る。その他、多くの客仏があるようである。
- 宗祖大師殿:「慈摂大師」の勅額を納める。
- 大本坊:寺務所。
- 客殿:法勝寺の薬師如来を祀る。
- 書院:
- 二十五菩薩:
- 三社権現社:現存不詳。
- 万日供養塔:多数あり。
- 勅使門:
- 納骨堂:
- 祠
- 祠
- 祠
- 真盛墓:御廟と呼ばれる。
- 明智光秀墓
- 真慧墓:浄土真宗専修寺中興の真慧の墓。真慧は真盛と懇意だったため西教寺に葬られた。
- 十禅師社:廃絶か。
- 研修道場
- 真盛学院
- 西教寺文庫
- 収蔵庫
- 真盛園
子院
- 徳乗坊:現存。
- 実成坊:現存。
- 禅教坊:廃絶。
- 禅林坊:現存。
- 禅智坊:現存。
- 禅明坊:現存。
- 聞証坊:現存。
- 蓮心坊:現存。
- 常禅坊:廃絶。
- 実相坊:廃絶。
- 安養院:現存。聖天堂、忠霊堂(本堂)、地蔵堂、弁天堂がある。
組織
住職
現在は西教寺貫首と称す。
- 1真盛(1443-1495)<>:
- 2盛全()<>:
- 3真恵(1445-1519)<>:大清寺を開く。
- 4真叡()<>:
- 5真覚()<>:
- 6真海()<>:
- 7真光()<>:
- 8真源()<>:
- 9真智()<>:法勝寺を併合する。
- 10真照()<>:
- 11真円()<>:
- 12真乗()<>:
- 13真乾(-1607)<>:
- 14真尊()<>:
- 15真迢(1596-1659)<>:近世を代表する学僧の一人。斎部氏。元は日蓮宗の僧侶で日迢と称した。京都・妙蓮寺16世だったが除歴された。
- 16真然()<>:
- 17真境()<>:
- 18真秀()<>:
- 19真典()<>:
- 20真際()<>:
- 21真証()<>:
- 22真如()<>:
- 23真啓()<>:
- 24真鳳()<>:
- 25真梁()<>:1847年1月4日死去。
- 26真雄()<>:1843年2月17日死去。
- 27真尚(-1857)<1848-1857>:快然。行光坊住職。1848年4月6日、西教寺住職。1857年3月11日死去。
- 28真融(-1862)<1857-1862>:義光。飯室長寿院。1857年5月19日、西教寺住職。1862年6月5日死去。
- 29真順()<>:
- 30真朗(1836-1892)<1874-1892>:率渓考恭。越後国輿板出身。1836年1月15日生。横川禅定院住職。1870年9月7日、大僧都。1873年3月、権少教正。1874年2月18日、西教寺住職兼務となる。3月1日移住。 1976年12月12日、西教寺が本務となる。1878年(明治11年)5月7日、天台宗真盛派として独立。初代管長となる。1892年7月5日、湯治先の有馬温泉で死去。
- 31真童()<1892-1894>:金鑚広貫。大光普照寺57世。1879年4月、転派して西来寺35世となる。1892年9月30日、管長就任認可。1893年12月8日、辞意。
- 32真全(?-1900)<1894-1900>:三輪澄諦。1894年、善光寺大勧進90世。転派して同年7月2日、西教寺住職に就任。8月25日、管長就任認可。1900年1月28日、真諦から真全に改名。2月8日死去。
- 33真託(1838-1911)<1900-1911>:石山覚湛。伊勢国出身。1838年2月22日生。西盛寺住職。1900年6月13日、管長就任認可。17日、引接寺から西教寺に転住。1911年(明治44年)1月8日死去。74歳。
- 34真紹(1856-1919)<1911-1919>:古泉性信。伊勢国安濃郡浄土寺の出身。1856年10月15日生。西福寺住職。引接寺住職を経て1911年(明治44年)3月31日、管長就任認可。4月10日、晋山式。1919年(大正8年)8月17日死去(年表では18日)。64歳。(日本人名大辞典)
- 35真兀(1862-1937)<1919-1937>:山田智善。高島の浄土真宗徳乗寺の出身。1862年12月6日生。引接寺住職を経て1919年10月23日管長就任認可。11月16日晋山式。1937年3月30日死去。76歳。
- 36真恂()<1937->:西村冏念。西来寺39世。1937年5月11日、管長選挙で当選。5月22日、管長就任認可。6月24日晋山式。天台三派合同。
- 37真謙(-1950)<>:八耳哲道。1950年(昭和25年)12月26日死去。
- 38真慶()<>:蛭薙詮順。伊賀西蓮寺から西来寺40世。
- 39真空(1891-)<>:木村哲忍。1891年(明治24年)生。滋賀県近江八幡市加茂町出身。天台宗西部大学卒。八耳哲道に師事。玉泉寺住職。82歳。
- 40真愚(1896-1985)<1974->:古市義秀。三重県出身。1896年(明治29年)11月3日生。光輪寺、引接寺を経て1974年(昭和49年)西教寺貫首。1985年(昭和60年)2月15日死去。88歳。
- 41真虔(1905-)<>:色井秀譲。1905年(明治38年)生。
- 42真良(-2011)<>:山本孝円。2011年(平成23年)2月14日死去。89歳。
- 43真魯(1926-2020)<2007-2018>:西村冏紹。1926年(昭和1年)生。宗務総長。2007年(平成19年)に貫首に就任。任期は終身だが2018年(平成30年)5月8日付で貫首辞任。2020年2月7日死去。
- 44武田円寵(1942-)<2018->:1942年(昭和17年)生。織田町長。宗務総長。2018年(平成30年)7月21日貫首就任。武田圓寵。
(『望月仏教大辞典』ほか)