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要法寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | == 歴史 == | ||
+ | ===天文法華の乱と要法寺の成立=== | ||
+ | 1333年(元弘3年/正慶2年)に死去した日興の遺命を受け、日目は「上洛天奏」の旅に赴いたが、同年11月15日、垂井宿にて死去。その弟子日尊は代わって京都で後醍醐天皇に謁見。六角油小路に寺地を賜り、1339年(延元4年/暦応2年)、[[上行院]]を創建したとされる。上行院は弟子の日尹が継いだが、もう一人の弟子の日大は冷泉西洞院に1345年(興国6年/貞和1年)、法華堂を建立し、後の[[住本寺]]となった。 | ||
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+ | 約200年後の1536年(天文5年)の天文法華の乱で、六角家の支援を受けた[[比叡山]]軍に京都の日蓮宗寺院は焼き打ちに会い、上行院と住本寺も7月27日に焼失、[[堺]]に逃れた。1542年(天文11年)11月、[[後奈良天皇]]の帰洛再興勅許を受け、上行院と住本寺は京都に帰還したが復興は容易ではなかったため、1548年(天文17年)、両寺は合併し'''要法寺'''と改称した。1550年(天文19年)、綾小路堀川の地に日辰はようやく伽藍再興を果たした。 | ||
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+ | 1591年(天正19年)、豊臣秀吉の都市整備のため、二条朱雀(寺町二条)に移転を命じられた。現在も跡地周辺に「要法寺前町」の地名が残る。1587年(天正15年)、[[大石寺]]と「両山一寺」の盟約を結び、100年以上にわたり、大石寺歴代を送り出した。1658年(万治1年)、22世日祐は山科[[本経寺]]に'''小栗栖檀林'''を設置。1708年(宝永5年)3月8日、京都大火で焼失。東山三条の現在地に移転。26世日眷は勧進して、1742年(寛保2年)1月起工。焼失より66年後の1774年(安永3年)3月にようやく落慶した。1795年(寛政7年)11月、京都15本山と対立し、要法寺僧侶が奉行所に逮捕された(寛政法乱)。1807年(文化4年)5月に和解した。1830年(天保1年)11月、開山堂を再建。1857年(安政4年)9月から翌年5月にかけて38世日生は「天下無宿の日生」と名乗り、三度幕府を諫暁。明治維新後、[[日蓮宗興門派]](のち本門宗と改称)に所属し、戦時期に合同日蓮宗に合併したが、戦後の1950年(昭和25年)10月28日、独立して'''[[日蓮本宗]]'''を設立し、その本山となった。 | ||
==歴代住職== | ==歴代住職== | ||
- | + | 住職というより法系の歴代といったほうが正確であろう。 | |
===初期=== | ===初期=== | ||
- | * | + | *1[[日蓮]]:[[日蓮宗]]の開祖。 |
- | * | + | *2[[日興]]:[[日興門流]]の開祖。 |
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- | * | + | *4日尊(1265-1345):要法寺開山とされる。元は天台僧。久成房。大夫阿闍梨。一時期、日興の絶縁を受けるが、全国行脚して36寺を創建し、その功績により復縁。鳥辺野に逆修塔を立てのち[[実報寺]]となる。 |
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- | * | + | *13日辰:上行院と住本寺を合併して要法寺とした。要法寺中興。 |
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- | * | + | *15日性:後陽成天皇侍講。注釈書を多数執筆。直江兼続と協力して活字出版を実施。その出版物は「要法寺版」と呼ばれる。 |
- | * | + | *16日恩:布教の大家と呼ばれる。 |
- | * | + | *17日堯:豊臣秀頼の学師。 |
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(『日本仏教基礎講座』より) | (『日本仏教基礎講座』より) | ||
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2016年4月17日 (日) 時点における版
要法寺(ようほうじ)は、京都府京都市左京区にある日蓮宗の本山寺院。日蓮本宗の本山で、寺内に同宗の宗務院が設置されている。日興門流の拠点日興門流八本山の一つ。日興弟子の日尊が建てた上行院が起源とされる。天文法華の乱で共に焼失した住本寺と合併し、要法寺となった。
目次 |
歴史
天文法華の乱と要法寺の成立
1333年(元弘3年/正慶2年)に死去した日興の遺命を受け、日目は「上洛天奏」の旅に赴いたが、同年11月15日、垂井宿にて死去。その弟子日尊は代わって京都で後醍醐天皇に謁見。六角油小路に寺地を賜り、1339年(延元4年/暦応2年)、上行院を創建したとされる。上行院は弟子の日尹が継いだが、もう一人の弟子の日大は冷泉西洞院に1345年(興国6年/貞和1年)、法華堂を建立し、後の住本寺となった。
約200年後の1536年(天文5年)の天文法華の乱で、六角家の支援を受けた比叡山軍に京都の日蓮宗寺院は焼き打ちに会い、上行院と住本寺も7月27日に焼失、堺に逃れた。1542年(天文11年)11月、後奈良天皇の帰洛再興勅許を受け、上行院と住本寺は京都に帰還したが復興は容易ではなかったため、1548年(天文17年)、両寺は合併し要法寺と改称した。1550年(天文19年)、綾小路堀川の地に日辰はようやく伽藍再興を果たした。
近世・近代
1591年(天正19年)、豊臣秀吉の都市整備のため、二条朱雀(寺町二条)に移転を命じられた。現在も跡地周辺に「要法寺前町」の地名が残る。1587年(天正15年)、大石寺と「両山一寺」の盟約を結び、100年以上にわたり、大石寺歴代を送り出した。1658年(万治1年)、22世日祐は山科本経寺に小栗栖檀林を設置。1708年(宝永5年)3月8日、京都大火で焼失。東山三条の現在地に移転。26世日眷は勧進して、1742年(寛保2年)1月起工。焼失より66年後の1774年(安永3年)3月にようやく落慶した。1795年(寛政7年)11月、京都15本山と対立し、要法寺僧侶が奉行所に逮捕された(寛政法乱)。1807年(文化4年)5月に和解した。1830年(天保1年)11月、開山堂を再建。1857年(安政4年)9月から翌年5月にかけて38世日生は「天下無宿の日生」と名乗り、三度幕府を諫暁。明治維新後、日蓮宗興門派(のち本門宗と改称)に所属し、戦時期に合同日蓮宗に合併したが、戦後の1950年(昭和25年)10月28日、独立して日蓮本宗を設立し、その本山となった。
歴代住職
住職というより法系の歴代といったほうが正確であろう。
初期
- 1日蓮:日蓮宗の開祖。
- 2日興:日興門流の開祖。
- 3日目:
- 4日尊(1265-1345):要法寺開山とされる。元は天台僧。久成房。大夫阿闍梨。一時期、日興の絶縁を受けるが、全国行脚して36寺を創建し、その功績により復縁。鳥辺野に逆修塔を立てのち実報寺となる。
上行院
- 5日尹
- 6日円
- 7日従
- 8日得
- 9日厳
- 10日遵
住本寺
- 5日大
- 6日源
- 7日元
- 8日長
- 9日禅
- 10日広
- 11日法
- 12日在
要法寺
- 13日辰:上行院と住本寺を合併して要法寺とした。要法寺中興。
- 14日〓:二条朱雀に移転。(〓=「貝+周」)
- 15日性:後陽成天皇侍講。注釈書を多数執筆。直江兼続と協力して活字出版を実施。その出版物は「要法寺版」と呼ばれる。
- 16日恩:布教の大家と呼ばれる。
- 17日堯:豊臣秀頼の学師。
- 18日陽
- 19日成
- 20日瑶
- 21日体
- 22日祐:山科本経寺に小栗栖檀林を設置。
- 23日詮:檀林整備に尽力。
- 24日饒
- 25日舒
- 26日眷
- 27日奠
- 28日全
- 29日慈
- 30日良
- 31日住
- 32日立
- 33日勝
- 34日〓:(〓=「日+周」)
- 35日庸
- 36日恵
- 37日愿
- 38日生
- 39日進
- 40日貫:日蓮宗興門派初代管長
- 41日周
- 42日守
- 43日珠
- 44日海
- 45日済
- 46日正
- (加歴)日志
- (加歴)日高
- (加歴)日義
- 47日城
- 48日誨:合同日蓮宗より独立して日蓮本宗を設立。
- 49日認
(『日本仏教基礎講座』より)
参考文献
- 『日本仏教基礎講座』