ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
誓願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2012年10月2日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
誓願寺 せいがんじ | |
概要 | 浄土宗西山派深草流の拠点寺院。 |
奉斎 | |
所在地 | 京都府京都市中京区桜之町453 |
所在地(旧国郡) | 山城国 |
所属(現在) | 浄土宗西山深草派 |
格式など | 浄土宗西山深草派 総本山 |
関連記事 | |
目次 |
概要
天智天皇6年(667)、天智天皇の勅願によって奈良に創建。鎌倉時代初期に一条小川に移転。 1591年(天正19年)、豊臣秀吉による都市計画で、三条寺町に移転。 創建時には三論宗に属していた。 1175年(安元1年)、法然が法相宗の蔵俊から譲られて22世となった。 証空は法然より譲られて23世となった。観経曼荼羅の講説を行った。
応仁の乱で焼失
近世
55世の安楽庵策伝は落語の開祖として知られる。 い空は深草の正統であると約した
応仁の乱で衰退して以来、法系が混乱し、西谷流の東西本山(粟生光明寺と禅林寺)末から相続が行われており、深草流は慨嘆する状況であった。い空は妙心寺から昇進して相続。東西本山と交渉して深草の正統をもって住職とすることを約したが、その死後、西谷流の住職が2代続いて相続した。そのため、争論に及び、「公議の裁断」をもって深草の法灯を継ぐものとした。
近代
天保年間、弘化年間、元治年間に3度の火災に会う。特に1864年(元治1年)8月の火災では諸堂および本尊を焼失。 明治初年、京都市は新京極を設置。境内地が上地された。 1869年(明治2年)、石清水八幡宮の本地仏を迎え、本尊とした。 1874年(明治7年)本堂再建
本尊は春日明神の化身とされる賢問子の作であった
恵隠が開基
平安遷都とともに平安京に遷ったともいう。
真宗院と兼帯する
『深草史 改訂版』
画像
参考文献
- 中西随功監修、2011『証空事典』東京堂出版