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護国寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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護国寺(ごこくじ)は、東京都文京区にある真言宗寺院。真言宗豊山派大本山。豊島岡墓地が隣接する。新義真言宗僧録司を務めた護持院を明治に合併した。別院として常陸・中禅寺がある。隆光旧跡。(参考:同名寺院護国寺_(同名)

目次

歴史

  • 1681年(天和1年)2月:将軍生母桂昌院が幕府の牛込御薬園の地を貰い受け、亮賢を招いて護国寺を創建。300石寄進。
  • 1682年(天和2年):本堂竣工。桂昌院の念持仏の天然琥珀如意輪観音を本尊とする。仁和寺門跡の直末寺となる。
  • 1682年(天和2年):梵鐘寄進(現存)。
  • 1686年(貞享3年):(隆光が護持院住職となる)
  • 1691年(元禄4年):経堂を建立(現在の薬師堂)
  • 1694年(元禄7年)10月:将軍徳川綱吉が桂昌院と共に護国寺に参詣。300石を加増し、600石となる。
  • 1695年(元禄8年):(隆光が真言宗新義派で初の大僧正となる)
  • 1695年(元禄8年):護持院に次ぐ将軍家の祈祷寺院に加わる。仁和寺を離れて無本寺となる。
  • 1695年(元禄8年)11月:弥勒寺快意が護国寺住職となる。
  • 1697年(元禄10年)1月:将軍徳川綱吉の命令で本堂造営を開始。
  • 1697年(元禄10年)8月4日:本堂(現存)の落慶法要。将軍徳川綱吉と桂昌院が参列。
  • 1697年(元禄10年)8月27日:100石加増
  • 1700年(元禄13年)10月:栄隆院(山形藩主(のち佐倉藩主)堀田正虎母)、現在の本尊、六臂如意輪観世音菩薩像を寄進。
  • 1700年(元禄13年):京都清涼寺の釈迦如来像の出開帳を境内で実施。以後、各地の寺院の出開帳が行われる。
  • 1701年(元禄14年):薬師堂を建立(現在の大師堂)。
  • 1703年(元禄16年)9月:500石加増。1200石(1300石とも)となる。
  • 1705年(宝永2年)6月22日:桂昌院死去。
  • 1706年(宝永3年):快意が大僧正に任命。智積院や長谷寺を凌ぐ存在となる。
  • 1707年(宝永4年)2月25日:護国寺快意が護持院住職となり、護国寺後任に長谷寺から亮貞が入る。
  • 1709年(宝永6年)1月10日:将軍徳川綱吉死去。以後、幕府の庇護が弱まる。
  • 1717年(享保2年)1月:護持院焼失。
  • 1717年(享保2年)3月:護持院は再興されず、護国寺の本坊に護持院の寺号が移された。
  • 1758年(宝暦8年):以後、護国寺住職が護持院を兼務。
  • 1782年(天明2年):西国観音堂を建立。
  • 1794年(寛政6年):護持院隣接地に大塚先儒墓所を開設。
  • 1868年(明治1年):護持院が廃絶となり、護国寺の境内に組み込まれる。
  • 1869年(明治2年)1月20日:境内を軍務官に貸与し、仮病院を設置[1]
  • 1872年(明治5年)9月18日:護国寺裏の2万坪を陸軍省に譲渡し、音羽陸軍墓地の設置を許可[2]
  • 1873年(明治6年)9月20日:旧護持院境内地の一部が上地され、豊島岡墓地となる[3][4]。25日に明治天皇皇子を埋葬。
  • 1873年(明治6年)5月27日:音羽陸軍墓地への埋葬について仁王門より通行すべきことを達す[5]
  • 1883年(明治16年):火災
  • 1902年(明治35年):日清戦争の遺骨を合葬する多宝塔と忠霊堂を建立。
  • 1926年(昭和1年):火災。
  • 1928年(昭和3年):品川御殿山から旧園城寺日光院客殿を移築して月光殿とする。
  • 1938年(昭和13年)4月:不老門、多宝塔、建立。
  • 1949年(昭和24年)10月:音羽陸軍墓地が東京都(国から移管)から護国寺に譲渡される。
  • 1957年(昭和32年)11月:音羽陸軍墓地を改葬して合葬塔を建立。
  • 1996年(平成8年)10月:霊廟(納骨堂)を建立。

組織

歴代住職

  • 1亮賢(1611-1687)<>:
  • 2賢広()<>:
  • 3快意()<>:
  • 4亮貞(1648-1719)<>:長谷寺化主15世。
  • 5尊祐(1645-1717)<>:長谷寺化主16世。
  • 6隆慶(1649-1719)<>:長谷寺化主17世。
  • 7兼澄()<>:
  • 8尚彦(1666-1736 )<>:長谷寺化主20世。
  • 9恵海(1662-1745)<>:長谷寺化主21世。
  • 10主真()<>:
  • 11恵任()<>:
  • 12圭賢(1669-1749)<>:長谷寺化主23世。
  • 13信恕(1682-1760)<>:長谷寺化主24世。
  • 14宗纂()<>:
  • 15光星()<>:
  • 16能勝()<>:
  • 以下、江戸・護持院が兼務
  • 俊海(1801-1883)<1868->:自坊は長谷寺慈眼院。武蔵国埼玉郡出身。俗姓は野中。1801年(享和1年)生。16歳で長谷寺に学ぶ。慈眼院に住す。1849年(嘉永2年)三保谷応徳寺住職。1867年(慶応3年)幕命で湯島根生院住職。1868年(明治1年)2月、護持院住職。大僧都。1883年(明治16年)6月7日死去。83歳。字は秀学。
  • 高志大了(1834-1898)<>:長谷寺化主55世。
  • 高城義海(1836-1911)<>:長谷寺化主61世。
  • 沢田秀元(1864-1914)<>:
  • 永見快賢(1856-1924)<>:
  • 早川快亮(1849-1923)<>:長谷寺化主63世。
  • 49小野方良行(1852-1932)<>:
  • 50佐々木教純(1875-1950)<>:
  • 51岡本教海()<>:
  • 52小林良弘()<>:
  • 53岡本永司(1927-2019)<1993-2019>:1927年生。1950年長徳寺住職。1993年護国寺貫首。2019/10/28死去。91歳。宗派宗会議長、総本山長谷寺顧問、豊山派宗機顧問、東京都仏教連合会会長など歴任。
  • 54小林大康()<2010->:小林良弘の長男。2010年1月24日就任。

(富田学純『新義真言宗史』[6]

画像

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E5%AF%BA」より作成

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