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賢所
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2019年6月18日 (火) 時点における版
賢所(かしこどころ)は、八咫の鏡を奉安する神殿。伊勢神宮の天照大神を祀る。古くから宮中に祀られ、現在は皇居の宮中三殿の中心神殿。神器関連旧跡。賢所関連旧跡。伊勢神宮関連旧跡。内侍所東幸旧跡。近代天皇祭祀。通称は内侍所(ないしどころ)。平安宮では温明殿(うんめいでん)や春興殿(しゅんこうでん)に奉安されたためその殿舎の名でも呼ばれる。現在の賢所には2枚の鏡が祀られており、そのため神輿は2基用意されている。
目次 |
歴史
孝徳天皇の頃から神器が即位に関わると認識されるようになった。 鏡が神格化され、奉斎の対象となるのは10世紀以降という。
平安時代、天皇は毎朝、石灰壇で賢所を遥拝した。
12月の賢所御神楽は『禁秘抄』『一代要記』によると、一条天皇の時代に隔年で始められた。 白河天皇の承保年間から毎年となった。
名称について
前近代では内侍所と呼ばれることが多かった。内侍所とは本来、内侍司が管轄する役所の名称。他に「所」の名を持つ役所としては政所(まんどころ)、蔵人所(くろうどどころ)、和歌所(わかどころ)などがある。内侍所の庁舎は温明殿内に置かれ、そして内侍所に所属する内侍たちが同じ温明殿にある神鏡を管理したので、神鏡や賢所のことを内侍所と呼ぶようになったと思われる。徒然草では神鏡のことを内侍所と呼んでいる。(ちなみに春日祭で京都から奈良に派遣された内侍が入る春日大社の殿舎も内侍所と呼ばれた。現在は式年造替の時の仮殿として使われており、移殿または遷殿と呼ばれる)
年譜
- 崇神天皇代:模造神鏡が作られたという(実物の神鏡は後に伊勢神宮に祀られたとされる)。
- 888年:石灰壇御拝が始まるという。
- 938年:温明殿と綾綺殿の修復のため賢所を後涼殿に遷座。まだ祭祀の対象ではなく宝物の一つとしての認識か。貞信公記
- 960年9月:内裏焼失。灰の中から鏡が形が変わらず出てきた。「神異」だと記されている。神鏡は3体あり、賢所の他、1体は伊勢、1体は紀伊大神とする。縫殿寮に遷座。11月7日に天皇に従い冷泉院に遷座。日本紀略。
- 976年:内裏焼失。縫殿寮から堀川院に遷座。この間、縫殿寮にあった可能性があり、まだ祭祀の対象とみなされていなかった可能性がある。
- 1002年:賢所御神楽(内侍所御神楽)が始まる。
- 1005年:神鏡焼損。修復か新造か議論している最中に蛇が出現。改鋳しないこととなる。小蛇事件。
- 1040年:罹災。女官の夢に蛇が出現。従来の西向きから南向きにして社殿のようになる
- 1094年:里内裏の堀川院焼失。火災時に鈴が鳴り、鏡は無事だったという。
- 1031年:後一条天皇が参拝。
- 1038年:後朱雀天皇、賢所御神楽を毎年12月の恒例とする。
- 1183年:安徳天皇、三種の神器と共に京を出る
- 1317年:神鏡が温明殿から春興殿に移る。
- 1467年:応仁の乱で天皇は室町殿に移る。賢所も。
- 1473年:賢所御神楽復興。
- 1477年:造替
- 1541年:修理
- 1555年:修理
- 1558年:修理
- 1559年:修理
- 1569年:修理。織田信長による。
- 1590年:造営。豊臣秀吉による。
- 1613年:造営。徳川幕府による。
- 1641年:造営。
- 1653年:内裏焼失
- 1662年:内裏焼失
- 1673年:内裏焼失
- 1696年:修復
- 1788年:内裏焼失
- 1790年:復古内裏、再建。
- 1854年:内裏焼失
- 1855年:内裏再建(現在の京都御所)
- 1869年:東京遷都。皇居の山里に遷座。
- 1873年5月:皇居火災。赤坂仮皇居内に遷座。
- 1889年1月9日:皇居に遷座。宮中三殿の現在の社殿を造営。
- 1890年:安政再建の賢所旧殿を移築して新たな創建した橿原神宮本殿とする。
- 1915年:大正天皇大礼のため、賢所が東京皇居から京都御所に渡御。この時、京都御所に現在の春興殿を造営。また賢所乗御車を製造。名古屋離宮に仮殿を造営した。
- 1928年:昭和天皇大礼のため、賢所が東京皇居から京都御所に渡御。名古屋離宮に仮殿を造営した。
資料
- 岸泰子『近世の禁裏と都市空間』思文閣出版:書評[1]