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長門・住吉神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 「長門国豊浦郡住吉荒魂神社山田大宮司系図」[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10301765/97] | ||
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*渡辺織雄(1868-1950)<1925-1933>:戦前期の山口県の神職。1884年(明治17年)、教導職試補。1890年(明治23年)、山口県出合村八幡宮社掌。1905年(明治38年)、[[赤間宮]]主典。のち長門住吉神社の禰宜に就任。1925年(大正14年)宮司就任。1933年(昭和8年)退任。皇典講究所評議員。1935年(昭和10年)、山口県神職会会長。1941年(昭和16年)、[[山口県護国神社]]社司に就任し、1945年(昭和20年)まで務める。その後は、故郷の八幡宮宮司となる。 | *渡辺織雄(1868-1950)<1925-1933>:戦前期の山口県の神職。1884年(明治17年)、教導職試補。1890年(明治23年)、山口県出合村八幡宮社掌。1905年(明治38年)、[[赤間宮]]主典。のち長門住吉神社の禰宜に就任。1925年(大正14年)宮司就任。1933年(昭和8年)退任。皇典講究所評議員。1935年(昭和10年)、山口県神職会会長。1941年(昭和16年)、[[山口県護国神社]]社司に就任し、1945年(昭和20年)まで務める。その後は、故郷の八幡宮宮司となる。 |
2019年1月5日 (土) 時点における版
住吉神社 すみよし じんじゃ | |
概要 | 住吉神の荒魂を祀る神社。 |
奉斎 | 表筒男命荒魂、中筒男命荒魂、底筒男命荒魂 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 山口県下関市一の宮住吉1-11-1 |
所在地(旧国郡) | 長門国豊浦郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・長門国一宮・朱印地拝領神社・官幣中社・別表神社 |
関連記事 | 住吉信仰 |
目次 |
概要
歴史
境内
組織
宮司(前近代)
『長門国守護職次第』(続群書類従4上)。
「長門国豊浦郡住吉荒魂神社山田大宮司系図」[1]
大宮司・宮司
- 渡辺織雄(1868-1950)<1925-1933>:戦前期の山口県の神職。1884年(明治17年)、教導職試補。1890年(明治23年)、山口県出合村八幡宮社掌。1905年(明治38年)、赤間宮主典。のち長門住吉神社の禰宜に就任。1925年(大正14年)宮司就任。1933年(昭和8年)退任。皇典講究所評議員。1935年(昭和10年)、山口県神職会会長。1941年(昭和16年)、山口県護国神社社司に就任し、1945年(昭和20年)まで務める。その後は、故郷の八幡宮宮司となる。
- 世良利貞(1816-1878):幕末明治の国学者。山口藩士。明治6年、住吉神社宮司。大教院で教典編纂。、
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』