ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

霊仙寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?歴代座主)
(?歴代座主)
2行: 2行:
== 組織 ==
== 組織 ==
-
===歴代座主===
+
===歴代座主(古代)===
-
*1助有法親王(1320-1361):後伏見天皇第六皇子。以後、世襲。
+
*木練()<>:阿蘇山
-
*2浄有:
+
*蔵慶()<>:建暦年間(1211-1213)に[[博多・善導寺]]を創建。
-
*3有忠:
+
===歴代座主(中世~近世)===
-
*4有俊:
+
*1助有法親王(1320-1361):[[後伏見天皇]]第六皇子。[[円満院門跡]]。[[園城寺]]長吏。以後、世襲。長助法親王。
-
*5有依:
+
*2浄有()<>:正平年間(1346-1370)に在職か。
-
*6有厳:
+
*3有忠()<>:
-
*7頼有:
+
*4有俊()<-1421->:「有俊」の名がある1421年(応永28年)の高木神社棟札がある。
-
*8堯有:
+
*5有依()<>:
-
*9興有:黒川に墓。
+
*6有厳()<>:
-
*10有胤:
+
*7頼有()<-1468->:1468年(応仁2年)、黒川院藤原俊幸と名乗って朝鮮に修好を求めている。
-
*11有信:
+
*8堯有()<>:
-
*12連有:
+
*9興有()<>:黒川に墓。
-
*13連忠:
+
*10有胤()<>:
-
*14舜有:黒川院に住んだ最後の座主。黒川に墓2所。
+
*11有信()<>:
-
*昌千代:女性座主。歴代に数えないことが多い。
+
*12連有()<>:
-
*15忠有:日野輝資の次男。元は相国寺の僧で玄賀と称した。
+
*13連忠(-1569)<-1569>:1569年(永禄12年)3月、大友家に対し佐田岳で挙兵。5月7日死去。
-
*16有清:岩倉具堯の子
+
*14舜有(-1587)<>:黒川院に住んだ最後の座主。黒川に墓2所。1587年(天正15年)死去。
-
*17亮有
+
*昌千代()<>:女性座主。歴代に数えないことが多い。
-
 
+
*15忠有()<1601->:日野輝資の次男。元は[[相国寺]]の僧で玄賀と称した。1601年(慶長6年)9月15日就任。
 +
*16有清()<1623->:岩倉具堯の子。1623年(元和9年)就任。
 +
*17亮有()<>:
 +
*広有()<-1675->:1675年(延宝3年)4月29日参内。
 +
*教有(1823-1872)<-1869>:最後の英彦山座主。鷹司政通の猶子。通綱。1863年(文久3年)英彦山事件を起こす。還俗して1868年(明治1年)高千穂姓を与えられた。1869年(明治2年)[[英彦山神社]]宮司。1872年(明治5年)8月11日死去。49歳。
[[Category:福岡県]]
[[Category:福岡県]]

2018年5月10日 (木) 時点における版

霊仙寺(りょうせんじ)は、福岡県田川郡添田町(豊前国田川郡)の英彦山にあった天台修験本山級寺院。本尊は釈迦如来。(参考:同名寺院霊山寺

組織

歴代座主(古代)

  • 木練()<>:阿蘇山
  • 蔵慶()<>:建暦年間(1211-1213)に博多・善導寺を創建。

歴代座主(中世~近世)

  • 1助有法親王(1320-1361):後伏見天皇第六皇子。円満院門跡園城寺長吏。以後、世襲。長助法親王。
  • 2浄有()<>:正平年間(1346-1370)に在職か。
  • 3有忠()<>:
  • 4有俊()<-1421->:「有俊」の名がある1421年(応永28年)の高木神社棟札がある。
  • 5有依()<>:
  • 6有厳()<>:
  • 7頼有()<-1468->:1468年(応仁2年)、黒川院藤原俊幸と名乗って朝鮮に修好を求めている。
  • 8堯有()<>:
  • 9興有()<>:黒川に墓。
  • 10有胤()<>:
  • 11有信()<>:
  • 12連有()<>:
  • 13連忠(-1569)<-1569>:1569年(永禄12年)3月、大友家に対し佐田岳で挙兵。5月7日死去。
  • 14舜有(-1587)<>:黒川院に住んだ最後の座主。黒川に墓2所。1587年(天正15年)死去。
  • 昌千代()<>:女性座主。歴代に数えないことが多い。
  • 15忠有()<1601->:日野輝資の次男。元は相国寺の僧で玄賀と称した。1601年(慶長6年)9月15日就任。
  • 16有清()<1623->:岩倉具堯の子。1623年(元和9年)就任。
  • 17亮有()<>:
  • 広有()<-1675->:1675年(延宝3年)4月29日参内。
  • 教有(1823-1872)<-1869>:最後の英彦山座主。鷹司政通の猶子。通綱。1863年(文久3年)英彦山事件を起こす。還俗して1868年(明治1年)高千穂姓を与えられた。1869年(明治2年)英彦山神社宮司。1872年(明治5年)8月11日死去。49歳。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%9C%8A%E4%BB%99%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール