ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

須佐神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2023年2月3日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索
須佐神社
すさ じんじゃ
Susa-jinja (10).jpg
概要 スサノオを奉斎する出雲の古社。
奉斎 須佐之男命
(土岐昌訓論文)
所在地 島根県出雲市佐田町須佐730
所在地(旧国郡) 出雲国飯石郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社国幣小社別表神社
関連記事 出雲スサノオ信仰

須佐神社(すさ・じんじゃ)は島根県出雲市佐田町須佐(出雲国飯石郡)にある出雲スサノオ信仰の神社。祭神は須佐之男命稲田比売命、足摩槌命、手摩槌命(ウェブサイト)。スサノオの総本社という見方もある。出雲国風土記所載神社官社名神大社国幣小社神社本庁別表神社。別称は須佐社須佐大宮出雲大宮須佐大明神十三所大明神

目次

奉斎

由緒

-->

歴史

境内

  • 本社:1861年造営?
  • 天照神社:上の御前
  • 東末社:
  • 西末社:
  • 三穂社:
  • 稲荷社:
  • 厳島神社:
  • 須賀神社:
  • 潮の井:
  • 神楽殿:
  • 本地堂:本尊は薬師如来。廃絶。
  • 須佐国造館:宮司邸。
  • 八雲大宮支教会:神道大教所属の教会。


  • 穴見神社:島根県雲南市掛合町穴見。かつては末社だった。
  • 多倍神社:島根県出雲市佐田町反辺。かつて摂社だったが明治に独立した。県社

組織

須佐家

神裔の須佐家が須佐大宮司を世襲した。須佐国造と称したというが、史書には国造の号はみえない。八重山神社で相続の儀式を行う。61年ごとに宮司邸を造営したという。現在も須佐神社宮司を世襲しているようだ。

  • 清之湯山主三名狭漏彦八島篠命()<>:須佐之男命の子。八束水臣津野命。清之繁名坂軽彦八島手神。清之湯山主三名狭漏彦八島野神。遊美豆奴神。
  • 稲田宮主国森
  • 24稲田宮主益成:国森の子。成務天皇30年、国造となったという。
  • 44須佐友行()<>:
  • 45須佐兼平()<>:出雲宗孝の子。須佐友行の養子。1099年頃相続。異説あり。石王冠者と称す。
  • 48須佐兼頼()<>:後鳥羽天皇の隠岐配流の時に玉体安穏の祈祷を行い、天国刀を下賜された。
  • 49須佐宗孝()<>:
  • 50須佐泰孝()<>:
  • 54須佐孝綱()<>:後醍醐天皇の隠岐配流の時に玉串を献じて御靴を下賜された。
  • 須佐兼孝()<>:
  • 須佐兼家()<>:
  • 須佐久兼()<>:
  • 須佐実高()<>:
  • 須佐兼春()<>:
  • 須佐兼頼()<>:
  • 須佐兼広()<>:
  • 須佐兼典()<>:
  • 須佐建彦()<>:
  • 73須佐建敏(1801-1886)<>:
  • 74須佐建真(1832-1911)<>:須佐建敏の子。明治12年、神道八雲教会を設立。明治16年10月、今市町に八雲教院を設置。1899年8月8日、須佐神社宮司[1]。須佐寛令とも。鈴木重胤に国学を学ぶ。1911年1月10日死去[2]。正七位。勲六等。
  • 坂倉広胖(?-1911)<1911-1911>:伊勢国白子町出身。坂倉広麿の長男。1899年、神宮皇学館卒。神宮宮掌。古事類苑編纂に従事する。1911年2月3日、須佐神社宮司[3]。6月30日死去[4]。同日、従七位。歌集『ちよの篁』[5][6]。追悼集『しのふくさ』がある。
  • 76須佐建親(1876-1931)<1911-1931>:1876年生[7]。兄の須佐建勲(1851-1917)の養子となる。禰宜を経て、1911年08月26日、須佐神社宮司(任免裁可書[8]。柳田国男の印がある)。10月20日、従七位[9]。1931年9月6日死去。8日従五位追贈。著書に大正11年『須佐神社概要』[10]
  • 77須佐建啓(1894-1972)<1931-1972>:島根県神社庁庁長。明治27年生。大正5年、国学院大学国文科卒。大正6年、須佐神社禰宜。昭和6年、須佐神社宮司。昭和6年10月15日、従七位。昭和7年松江神社宮司を兼務[11]。松江護国神社を兼務。昭和32年10月11日から昭和43年4月12日まで熊野神社宮司を兼務。昭和25年、神社庁長。昭和47年1月25日死去。[12]
  • 78須佐建紀(1934-2022)<1972-2022>:須佐建啓の次男[13]。1934年生。1964年、新潟大学医学部医学科卒。禰宜を経て1972年3月3日、須佐神社宮司。2022年11月12日死去。88歳。

画像

資料

  • 1922『須佐神社概要』[14]
  • 1979『佐田町史』[15]
  • 『神国島根』「須佐神社」[16]
  • 『官国幣社特殊神事調』「須佐神社」[17]
  • 「須佐神社の神事」[18]
  • 『文化遺産』「須佐神社」[19]
  • 『島根県史要』「須佐神社」[20]
  • 『神道八雲教会神徳略』[21]
  • 島根県誌[22]
  • 『皇陵神社巡拝記』[23]
  • 造営請願[24]
  • 『飯石郡誌』「須佐家」[25]
  • 須佐宮内神社記
  • 須佐社由緒記写
  • 『姓氏家系大辞典』「須佐」[26]

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%A0%88%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール