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願証寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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1501年(文亀1年)頃、[[蓮如]]六男の蓮淳が創建。法泉寺という前身寺院があったともいう。美濃、尾張、伊勢の[[本願寺]]教団を統括した。本願寺が[[門跡寺院]]となると共に1560年(永禄3年)、院家となった。1570年(元亀1年)、[[大坂本願寺]]で石山合戦が始まると、[[織田信長]]は願証寺にも侵攻。願証寺は非門徒武士とも連携して長島一向一揆の拠点となり抗戦。織田信興を自害させるなど奮戦するが、1574年(天正2年)敗北した。跡を継ぐ寺院として平尾御坊[[美濃・願証寺|願証寺]]、大垣御坊[[真宗大谷派大垣別院]]、[[近江・願証寺]]、[[桑名・願証寺]]、[[松阪・願証寺]]、[[本願寺名古屋別院]]、[[又木・願証寺]]などがある。跡地は1894年(明治27年)の河川改修で長良川の水底に沈んだ。 | 1501年(文亀1年)頃、[[蓮如]]六男の蓮淳が創建。法泉寺という前身寺院があったともいう。美濃、尾張、伊勢の[[本願寺]]教団を統括した。本願寺が[[門跡寺院]]となると共に1560年(永禄3年)、院家となった。1570年(元亀1年)、[[大坂本願寺]]で石山合戦が始まると、[[織田信長]]は願証寺にも侵攻。願証寺は非門徒武士とも連携して長島一向一揆の拠点となり抗戦。織田信興を自害させるなど奮戦するが、1574年(天正2年)敗北した。跡を継ぐ寺院として平尾御坊[[美濃・願証寺|願証寺]]、大垣御坊[[真宗大谷派大垣別院]]、[[近江・願証寺]]、[[桑名・願証寺]]、[[松阪・願証寺]]、[[本願寺名古屋別院]]、[[又木・願証寺]]などがある。跡地は1894年(明治27年)の河川改修で長良川の水底に沈んだ。 | ||
- | == | + | == 組織== |
- | *1蓮淳(1464-1550):[[蓮如]]の六男。1497年(明応6年) | + | ===住職=== |
- | *2実恵(1496-1536):蓮淳の次男。実慧。兼幸。子に真徳寺(東に分立したのが[[美濃・願証寺]] | + | *1蓮淳(1464-1550):[[蓮如]]の六男。1497年(明応6年)入寺。1550年8月18日死去。[[顕証寺]]に墓。 |
- | * | + | *2実恵(1496-1536):蓮淳の次男。実慧。兼幸。子に真徳寺(東に分立したのが[[美濃・願証寺]])開山の証栄。1536年1月7日死去。 |
- | * | + | *3証恵():実恵の長男。証慧。教幸。文禄7年1月1日死去。 |
- | *5顕忍(1561-1574):佐堯。1574年(天正2年) | + | *4証意():長島城を攻略。佐玄。元亀2年5月12日死去。長島殿を名乗る。 |
+ | *5顕忍(1561-1574):佐堯。1574年(天正2年)9月29日、織田信長の長島攻略で戦死。14歳。 | ||
[[category:三重県]] | [[category:三重県]] |
2021年12月28日 (火) 時点における版
願証寺(がんしょうじ)は、伊勢国桑名郡長島(三重県桑名市長島町)にあった浄土真宗寺院。長島一向一揆の拠点。院家寺院・御坊寺院だった。廃絶し、跡地は長良川改修で水没したが、後継寺院が多数ある。長島願証寺。河内御堂。長島御坊。願証寺関連旧跡も参照。
歴史
1501年(文亀1年)頃、蓮如六男の蓮淳が創建。法泉寺という前身寺院があったともいう。美濃、尾張、伊勢の本願寺教団を統括した。本願寺が門跡寺院となると共に1560年(永禄3年)、院家となった。1570年(元亀1年)、大坂本願寺で石山合戦が始まると、織田信長は願証寺にも侵攻。願証寺は非門徒武士とも連携して長島一向一揆の拠点となり抗戦。織田信興を自害させるなど奮戦するが、1574年(天正2年)敗北した。跡を継ぐ寺院として平尾御坊願証寺、大垣御坊真宗大谷派大垣別院、近江・願証寺、桑名・願証寺、松阪・願証寺、本願寺名古屋別院、又木・願証寺などがある。跡地は1894年(明治27年)の河川改修で長良川の水底に沈んだ。