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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

河内・来迎寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年8月12日 (土)

佐太来迎寺から転送)
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来迎寺(らいごうじ)は、大阪府守口市にある浄土教本山寺院。本尊は天筆如来。元は融通念仏宗佐太派の拠点寺院だったが、現在は浄土宗知恩院派佐太来迎寺佐太本山と呼ばれた。聖衆院。山号は紫雲山。(参考:同名寺院来迎寺

歴史

正平2年(1347)、融通念仏僧の実尊が創建。法明から授けられた天筆如来を祀った。後村上天皇の帰依を受け常紫衣の綸旨などを賜った。 和漢三才図会では開山の名を西願あるいは誠阿とする。

当初は現在の守口市来迎町あたりにあったという。応永3年(1396)から延宝6年(1678)に現在地に移るまで茨田郡大庭荘・大窪荘周辺を26回移転している。これは融通念仏宗の寺院に多くみられる引き道場の制度を取っていたからで、住職が交代すると新住職の屋敷に寺籍が移された。住職の死後一カ月以内に寺を移しているという。

元亀年間に兵火で常紫衣の綸旨を焼失したが、宝永3年(1706)に再び綸旨を賜った。 江戸時代には大念仏宗佐太派本山として61の末寺があったという。

1872年(明治5年)11月、融通念仏宗を改め「浄土宗佐太派」を称すが、12月3日、知恩院の所轄となり、1889年(明治22年)2月3日、神奈川県泉谷寺から檀林号を移し、派名を取り消す(「浄土宗寺院調書」)。 佐太天神宮が隣接する。 (日本歴史地名大系)

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