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猿田彦神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月15日 (日)

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猿田彦神社
さるたひこ じんじゃ
Sarutahiko-jinja (6).jpg
概要 宇治土公家の祖神。
奉斎
所在地
所在地(旧国郡)
所属(現在)
格式など
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目次

概要

戦前の猿田彦神社

神宮の玉串大内人を務めた宇治土公氏の祖神を祀る神社。猿田彦大神、太田命を祀る。

宇治土公氏の自邸内に祀られた邸内社が起源。創建不詳。建久年間には北中村で祀られていたといい、文明年間、多気郡野中村に遷り、元和年間、山田岡本町に遷座。1677年(延宝5年)、現在地に遷座した。1867年(慶応3年)には火災で焼失。永正7年の註進状に当社には神殿はなく賢木で祀っていたとある。

明治になり「神社」化することとし、三重県に請願。1878年(明治11年)8月17日許可を得て、宇治土公家の隣接地に造営を開始、1893年(明治26年)12月17日に竣工した。1936年(昭和11年)現在地に社殿造営。1997年(平成9年)に平成の造営を行った。

もと無格社。戦後、別表神社となった。


奉斎

歴史

境内

  • 本社
  • 佐瑠女社:天宇受売命を祀る。

組織

玉串大内人は内宮の大内人職の上位にあり、禰宜の次に位置した。1871年(明治4年)の神宮御改正で内人職が廃止となる。近世には荒木田氏となるが、1678年(延宝6年)4月25日、宇治土公氏に復す。家名としては「二見」と用いるが、1911年(明治44年)12月26日、「宇治土公」を名乗る。

前近代

  • 大田命
  • 宇治土公磯部小継():804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』の奥書の名前がある。
  • 宇治土公貞茂():1398年(応永5年)在職。
  • 宇治土公貞近():1438年(永享10年)在職。
  • 宇治土公貞次():1445年(文安2年)在職。
  • 宇治土公貞通():1460年(寛正1年)在職。
  • 宇治土公貞重():1479年(文明11年)在職。三重県多気郡多気町野中の西外城田神社近くに墓?伊勢市中村町の墓地に移転?
  • 宇治土公貞盛():1479年(文明11年)在職。
  • 宇治土公貞時():1664年(寛文4年)在職。
  • 宇治土公定彦():1683年(天和3年)在世。
  • 宇治土公定恭():1701年(元禄14年)大内人就任。
  • 宇治土公定森():定彦の次男。
  • 宇治土公定次():
  • 宇治土公定静():
  • 宇治土公定哉():
  • 二見定津(1783-1822):定静の子。1792年(寛政4年)大内人。権禰宜。1796年(寛政8年)本居宣長に入門。1822年(文政5年)閏1月3日死去。
  • 二見定直():1870年(明治3年)在職

社掌・宮司

  • 宇治土公貞幹()<>:二見貞幹。
  • 宇治土公貞幹(1924-2011)<>:神社本庁長老。1924年(大正13年)生。1944年(昭和19年)国学院大学神道部卒。同年、猿田彦神社社掌。1946年(昭和21年)宮司。1972年(昭和47年)10月10日三重県護国神社宮司兼務。1971年(昭和46年)三重県神社庁長。1980年(昭和55年)神社本庁監事。1983年(昭和58年)神社本庁理事。
  • 宇治土公貞明()<>:2008年(平成20年)9月10日死去。
  • 宇治土公貞尚()<>:

画像

参考文献


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%8C%BF%E7%94%B0%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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