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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

現・讃岐国分寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年2月12日 (日)

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国分寺(こくぶんじ)は、香川県高松市国分寺町にある、聖武天皇讃岐国分寺を継承する真言宗寺院。古代伽藍跡に位置する。四国八十八所霊場第80番札所。秘仏本尊である大型の十一面千手観音像と梵鐘は、平安時代の製作とみられ、古代国分寺の伝統を今に伝えるものと言える。真言宗御室派白牛山千手院国分寺

歴史

由緒では、行基が千手観音を祭って創建されたとされる。その後、空海が訪れ中興したという。諸国国分寺の中でも大規模な伽藍を誇った、古代寺院は、11世紀ごろには衰微したとみられる。その後、真言律宗西大寺流の僧が、各地の国分寺を復興したが、讃岐国分寺も室町時代の明徳2年(1391)には西大寺の末寺になっていた記録がある。ただ現本堂は、鎌倉時代中期の造営と推測され、嘉元4年(1306)に西大寺長老2世の信空が近隣の鷲峰寺に滞在しており、その頃には西大寺末になっていたと考えられている。現在は、仁和寺の末寺。

本尊には、大永8年(1528)に安芸宮島の人が書いた「南無大師遍照金剛」との落書きがあり、この頃には四国霊場に組み込まれていたとみられる。天正の兵乱で大きな被害を受けた。江戸時代、高松藩主の生駒家、松平家の庇護を受けた。史跡調査が盛んになった幕末には、北東約2kmにある讃岐国分尼寺跡に法華寺が再興された。金堂は、古代の講堂跡の上に礎石を再利用して建てられている。仁王門は、中門跡とみられている。

なお、四国霊場としては前の第79番札所讃岐・天皇寺からは⚫︎km、次の第81番札所白峰寺まで⚫︎kmある。

参考文献

  • かみゆ歴史編集部編、2014『国分寺を歩く』イカロス出版
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%8F%BE%E3%83%BB%E8%AE%83%E5%B2%90%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA」より作成

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