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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

観菩提寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年2月11日 (日)

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観菩提寺(かんぼだいじ)は三重県伊賀市にある南都仏教真言宗の寺院。本尊は十一面観音。秘仏で33年に一度の開帳。東大寺実忠が開いたといわれる。通称は正月堂東大寺二月堂の別院ともいわれる。山号は普門山。真言宗豊山派東大寺関連旧跡

歴史

寺伝によると、天平年間に聖武天皇が伊賀国多羅尾峠の麓に行宮を建設。751年(天平勝宝3年)、実忠がこれを改修して寺院としたという。しかし、一説には聖武天皇や東大寺と結び付ける伝承や正月堂という通称は江戸時代に生まれたものという(日本歴史地名大系)。

中世には島ケ原党という武士集団の拠点となり、南朝に仕えたという。元弘年間、鎮守として諏訪明神を祀った。1692年(元禄5年)、大覚寺末となる。塔頭として内蔵坊・大門坊(慈眼院)・灯明坊(蓮花院)・円蔵坊(無量院)・西之坊(西光院)・栄存坊があった。近くに鵜宮神社がある。明治以後、長谷寺末となる。「観菩提寺古絵図」が残る。(国史大辞典、日本歴史地名大系)

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