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弘正寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月23日 (月)

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[[ファイル:弘正寺跡-01.jpeg|thumb|400px|弘正寺跡碑]]
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'''弘正寺'''(こうしょうじ)は伊勢国度会郡(三重県伊勢市楠部町)にあった[[南都仏教]][[真言宗]]の寺院。[[真言律宗西大寺流]]。廃絶。[[伊勢神宮]]の本地仏である金胎[[大日如来]]を奉斎したという。[[叡尊旧跡]]。[[伊勢神宮関連旧跡]]。[[関東祈祷所]]。'''興正寺'''。山号は神護山。
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|style="background-color:#ededed;width:100px;"|概要
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|伊勢神宮の本地仏を奉斎する寺院。叡尊の弟子が創建。廃絶。
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|style="background-color:#ededed"|奉斎
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|style="background-color:#ededed"|所在地
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|(三重県伊勢市楠部町)
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|style="background-color:#ededed"|所在地(旧国郡)
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|伊勢国度会郡
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*[[伊勢神宮関連旧跡]]
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*[[真言律宗]]
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34.481174, 136.72462, 弘正寺跡
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大五輪塔がある。
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[[category:個別記事]]
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[[category:三重県]]
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==概要==
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楠部町の伊勢農協あたりが跡地とされる。近くには五十鈴川を挟んで[[大土御祖神社]][[伊勢神宮神田]]がある。
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'''弘正寺'''(こうしょうじ)は伊勢国度会郡(三重県伊勢市楠部町)にあった[[南都仏教]][[真言宗]]の寺院。律宗。廃絶。[[伊勢神宮]]の本地仏を奉斎するという。[[叡尊]]が創建し、その高弟宣瑜が住職となった。宣瑜はのち[[西大寺]]長老3世となる。跡地に高さ3.4mの大型の五輪塔(「大五輪(おおごり)の五輪塔」、「楠部五輪塔」)が残り、叡尊の墓塔である可能性が指摘されている。永仁6年(1298)、[[忍性]]の請願で認められた[[関東御祈祷所]]34寺の一つ。[[伊勢神宮関連旧跡]]。
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[[西大寺]]中興で西大寺流開祖の叡尊は1280年3月、門弟100人余りを率いて[[伊勢神宮]]に参拝し、蒙古退散を祈願。叡尊の神宮参詣は3回目だった。
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この時、一堂を建てたのが弘正寺の起源で、高弟宣瑜(1240-1325、西大寺長老3世)が住職となった。
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==画像==
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弘正寺は興正寺とも書かれることもあり、名称は叡尊の諡号である「興正菩薩」に由来するのかもしれない。
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永仁6年(1298)、[[忍性]]の請願で認められた関東祈祷所34寺の一つ。伊勢における西大寺末の筆頭だった。
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西北西1.1kmの清丸稲荷神社にある高さ3.4mの大型の五輪塔(「大五輪(おおごり)の五輪塔」、「楠部五輪塔」)は弘正寺の管轄にあったもので、叡尊の墓塔である可能性が指摘されている。
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*神宮典略[https://dl.ndl.go.jp/pid/1215170/1/331]
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==参考文献==
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==脚注==
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2023年1月23日 (月) 時点における最新版

弘正寺跡碑

弘正寺(こうしょうじ)は伊勢国度会郡(三重県伊勢市楠部町)にあった南都仏教真言宗の寺院。真言律宗西大寺流。廃絶。伊勢神宮の本地仏である金胎大日如来を奉斎したという。叡尊旧跡伊勢神宮関連旧跡関東祈祷所興正寺。山号は神護山。


楠部町の伊勢農協あたりが跡地とされる。近くには五十鈴川を挟んで大土御祖神社伊勢神宮神田がある。 西大寺中興で西大寺流開祖の叡尊は1280年3月、門弟100人余りを率いて伊勢神宮に参拝し、蒙古退散を祈願。叡尊の神宮参詣は3回目だった。 この時、一堂を建てたのが弘正寺の起源で、高弟宣瑜(1240-1325、西大寺長老3世)が住職となった。 弘正寺は興正寺とも書かれることもあり、名称は叡尊の諡号である「興正菩薩」に由来するのかもしれない。 永仁6年(1298)、忍性の請願で認められた関東祈祷所34寺の一つ。伊勢における西大寺末の筆頭だった。 西北西1.1kmの清丸稲荷神社にある高さ3.4mの大型の五輪塔(「大五輪(おおごり)の五輪塔」、「楠部五輪塔」)は弘正寺の管轄にあったもので、叡尊の墓塔である可能性が指摘されている。

  • 神宮典略[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BC%98%E6%AD%A3%E5%AF%BA」より作成

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