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専修寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*1[[親鸞]](1173-1262):浄土真宗の開祖。 | *1[[親鸞]](1173-1262):浄土真宗の開祖。 | ||
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*3[[顕智]](1226-1310):出自不詳。伝説的な経歴を伝える。最初は比叡山の天台僧で賢順と称した。のち真仏に師事。親鸞にも面授を受ける。霊光院門跡。[[伊勢・如来寺]]で姿を消した。 | *3[[顕智]](1226-1310):出自不詳。伝説的な経歴を伝える。最初は比叡山の天台僧で賢順と称した。のち真仏に師事。親鸞にも面授を受ける。霊光院門跡。[[伊勢・如来寺]]で姿を消した。 | ||
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2017年5月1日 (月) 時点における版
専修寺(せんじゅじ)は、三重県津市にある浄土真宗の本山寺院。真宗高田派の本山。専修阿弥陀寺、無量寿寺、高田本山。一身田専修寺。各地に別院がある。(参考:同名寺院専修寺 (同名)、阿弥陀寺、無量寿寺)
目次 |
歴史
10代真慧(1459-1512)は、北陸や東海に布教。伊勢に拠点として無量寿寺を創建。後土御門天皇から綸旨、上人号公認。12代堯慧のころに本山の地位が確立したらしい。
塔頭
三カ院
- 智恵光院
- 玉保院
- 慈智院
歴代住職
- 1親鸞(1173-1262):浄土真宗の開祖。
- 2真仏(1209-1258):親鸞より早く死去。
- 3顕智(1226-1310):出自不詳。伝説的な経歴を伝える。最初は比叡山の天台僧で賢順と称した。のち真仏に師事。親鸞にも面授を受ける。霊光院門跡。伊勢・如来寺で姿を消した。
- 4専空
- 5定専
- 6空仏
- 7順証
- 8定順
- 9定顕
- 10真慧(1434-1512):中興。伊勢専修寺の基礎を固める。天台宗西教寺中興の真盛と親しく真慧の墓は西教寺に設けられた。
- (真智)(?-1581):後柏原天皇皇子。常盤井宮。応真と後継争いで敗れる。熊坂専修寺を創建。
- 11応真:京都別院を創建。
- 12尭慧(1527-1609):飛鳥井雅綱の第三男。将軍足利義晴の猶子。天正2年門跡となる。光徳院。
- 13尭真:尭慧の子。
- 14尭秀
- 15尭朝
- 16尭円
- 17円猷(1694-1753):伏見宮貞致親王王子。一光三尊仏を本山で初めて開帳。歓喜心院。
- 18円遵(1746-1819):有栖川宮家出身。職仁親王の孫。霊元天皇皇曾孫。無上上院。
- 19円祥
- 20円禧
- 21常磐井尭熙(1844-1919):近衛忠煕の子。
- 22常磐井尭猷(1872-1951):近衛忠房の三男。サンスクリット学者。京都帝国大学教授。
- 23常磐井尭祺
- 24常磐井鸞猷
- 25常磐井慈祥
(専修寺ウェブサイトなど)
真智に関して『望月仏教大辞典』では歴代に数えているが、現在の専修寺では歴代と認めていないようだ