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国泰寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年6月19日 (水)
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1296年(永仁4年)、慈雲妙意が二上山の麓に結んだ草庵が起源。現在の小竹[[弘源寺]]の地という。心地覚心に学んだ後、1299年(正安1年)、伽藍を整え、東松寺と称した。1327年(嘉暦2年)、[[後醍醐天皇]]の帰依を受け、[[紫衣]]を賜る。1328年(嘉暦3年)、「護国摩頂巨山仁王国泰万年禅寺」の勅額を賜り、「五山之上」である[[南禅寺]]と同格の「北陸鎮護第一禅刹特進出世之大道場」となったという。1339年(延元4年/暦応2年)に越中[[安国寺]]になったという説もある。 | 1296年(永仁4年)、慈雲妙意が二上山の麓に結んだ草庵が起源。現在の小竹[[弘源寺]]の地という。心地覚心に学んだ後、1299年(正安1年)、伽藍を整え、東松寺と称した。1327年(嘉暦2年)、[[後醍醐天皇]]の帰依を受け、[[紫衣]]を賜る。1328年(嘉暦3年)、「護国摩頂巨山仁王国泰万年禅寺」の勅額を賜り、「五山之上」である[[南禅寺]]と同格の「北陸鎮護第一禅刹特進出世之大道場」となったという。1339年(延元4年/暦応2年)に越中[[安国寺]]になったという説もある。 | ||
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2024年6月19日 (水) 時点における最新版
国泰寺(こくたいじ)は、富山県高岡市太田町にある臨済宗の本山寺院。本尊は釈迦如来。開山は慈雲妙意。法燈派の拠点で、臨済宗国泰寺派大本山。普化宗ともゆかり深い。当初は二上山にあり、東松寺と称した。中世末、雪庭祝陽が現在地に移した。専門道場が設置されている(国泰僧堂)。山号は摩頂山。(参考:同名寺院国泰寺_(同名))
目次 |
歴史
中世
1296年(永仁4年)、慈雲妙意が二上山の麓に結んだ草庵が起源。現在の小竹弘源寺の地という。心地覚心に学んだ後、1299年(正安1年)、伽藍を整え、東松寺と称した。1327年(嘉暦2年)、後醍醐天皇の帰依を受け、紫衣を賜る。1328年(嘉暦3年)、「護国摩頂巨山仁王国泰万年禅寺」の勅額を賜り、「五山之上」である南禅寺と同格の「北陸鎮護第一禅刹特進出世之大道場」となったという。1339年(延元4年/暦応2年)に越中安国寺になったという説もある。
国内には他に法灯派の寺院として興化寺があり、活発な交流もあった。また教線を高原川沿いに南に拡大し、飛騨国に末寺を多数擁した。 1546年(天文15年)、雪庭祝陽が後奈良天皇綸旨を得るが、上杉謙信と神保氏の戦いで焼失した。
近世
天正年間、現在地に移転。江戸時代には妙心寺末となる一方、1708年(宝永5年)、幕府から法燈派の総本山と認められた。飛騨国の末寺は妙心寺末宗猷寺に転属したが、法灯派の加賀国の伝灯寺、越中国の興国寺・越中・蓮華寺・薬勝寺などを配下に置いた。普化宗の支配にも関わったらしいが不詳。
1721年(享保6年)、法堂・祖堂などを再建して復興した。
近代
1876年(明治9年)、相国寺の所轄となったが、1879年(明治12年)には相国寺派所属のまま、臨済宗国泰寺派を名乗ることを認められた。1905年(明治38年)に独立して正式に国泰寺派となった。
(国史大辞典、日本歴史地名大系)
伽藍
組織
歴代住職
- 『望月仏教大辞典』は57世まで。
- 独立以降は管長在職期間を住職在職期間とみなした。
世数 | 名 | 生没年 | 就任年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 慈雲妙意 | 1274-1345 | 1296- | 国泰寺開山。心地覚心の法嗣。信濃国出身。1274年(文永11年)生。12歳、越後五智山(越後国分寺とも、小千谷五智院とも)で出家。日光山で『円覚経』を聴講。建長寺・鎌倉・円覚寺で学ぶ。1296年(永仁4年)二上山に草庵を建てた。そこを訪れた孤峰覚明の進めで、興国寺を訪れて心地覚心に師事(心地覚心の死後に孤峰覚明の印可を得たともいう)。1299年(正安1年)二上山に戻って東松寺を開いた。1327年(嘉暦2年)に上洛して後醍醐天皇の帰依を得て、「清泉禅師」号と紫衣を賜ったという。翌年、勅で国泰寺と改称したという。1345年(興国6年/貞和1年)6月3日死去。72歳。清泉禅師。恵日聖光国師。(国史大辞典、日本人名大辞典) |
2 | 絶涯覚雲 | 経歴不詳。氷見興聖寺の開山。「絶崖覚雲」とも。 | ||
3 | 寂岸心光 | 経歴不詳。 | ||
4 | 覚天宗閑 | 経歴不詳。安養寺開山。 | ||
5 | 実参妙悟 | 経歴不詳。 | ||
6 | 晴天覚珍 | 経歴不詳。氷見仏心寺の開山。 | ||
7 | 虚庵心空 | 経歴不詳。 | ||
8 | 天祐守鑑 | 経歴不詳。 | ||
9 | 海門宗光 | 経歴不詳。 | ||
10 | 月波宗船 | 経歴不詳。 | ||
11 | 日山宗果 | 経歴不詳。 | ||
12 | 竹門元楚 | 経歴不詳。 | ||
13 | 南祖祖薫 | 経歴不詳。 | ||
14 | 梅嶺宗葩 | 経歴不詳。 | ||
15 | 堂笑祖玄 | 経歴不詳。 | ||
16 | 天沢守瑞 | 経歴不詳。 | ||
17 | 梁雲周棟 | 経歴不詳。 | ||
18 | 乾翁宗貞 | 経歴不詳。 | ||
19 | 大梅妙奇 | 経歴不詳。飛騨方面の布教を進めた。「大海妙奇」は誤り。 | ||
20 | 文坡祖広 | 経歴不詳。 | ||
21 | 林屋玄春 | 経歴不詳。 | ||
22 | 一峰宗麟 | 経歴不詳。 | ||
23 | 用山覚照 | 経歴不詳。 | ||
24 | 荘海覚椿 | 経歴不詳。 | ||
25 | 芳桂勝樹 | 経歴不詳。 | ||
26 | 春渓覚栄 | 経歴不詳。宝光寺開山。 | ||
27 | 雪庭祝陽 | 国泰寺中興。1546年(天文15年)後奈良天皇綸旨を受け、紫衣勅許。 | ||
28 | 友竹覚松 | 後奈良天皇綸旨を受ける。 | ||
29 | 嗣山慶胤 | 正親町天皇綸旨を受ける。 | ||
30 | 澄月僧精 | 経歴不詳。 | ||
31 | 〓庭長〓 | 経歴不詳。 | ||
32 | 英叔宗雄 | 経歴不詳。 | ||
33 | 泰岳守昶 | 経歴不詳。 | ||
34 | 南渓元康 | 経歴不詳。 | ||
35 | 慈伯覚忍 | 経歴不詳。 | ||
36 | 明岩龍哲 | 経歴不詳。珠洲吉祥寺20世。 | ||
37 | 天英清竺 | 正法寺中興。1708年(宝永5年)、将軍徳川綱吉から国泰寺が本寺と認められた。 | ||
38 | 別伝通識 | 1721年(享保6年)、伽藍復興。 | ||
39 | 万嶽性狄 | 経歴不詳。 | ||
40 | 北溟自董 | 経歴不詳。 | ||
41 | 来列玄乗 | 経歴不詳。 | ||
42 | 賢堂運智 | 経歴不詳。 | ||
43 | 雪江東縁 | 経歴不詳。 | ||
44 | 一山一成 | 経歴不詳。 | ||
45 | 北秀祖冬 | 経歴不詳。 | ||
46 | 願海恵行 | 経歴不詳。 | ||
47 | 月洲禅明 | 経歴不詳。 | ||
48 | 定海義精 | 経歴不詳。誓度寺中興。 | ||
49 | 典栄志謙 | 経歴不詳。実相寺中興。 | ||
50 | 陽嶽嵩寿 | 経歴不詳。 | ||
51 | 完堂文悦 | 経歴不詳。 | ||
52 | 〓巌文猊 | 経歴不詳。 | ||
53 | 実応是参 | 経歴不詳。「実応是三」。 | ||
54 | 越叟義格 | 1837-1884 | 1874-1884 | 松尾義格。全生庵を創建。山岡鉄舟と協力して国泰寺を復興。 |
55 | 雪門玄松 | 1850-1915 | 1884- | 道津雪門。鈴木大拙や西田幾多郎の師匠。 |
56 | 瑞雲義寛 | ?-1909 | 梅田瑞雲。国泰寺派管長初代。1905年(明治38年)管長。 | |
57 | 龍水英堯 | 1857-1934 | 1909-1934 | 佐竹龍水。国泰寺派管長2代。1909年(明治42年)師家・管長を就任。伝記に『富山県国泰寺龍水禅師伝』。 |
58 | 悦巌大喜 | 1887-1944 | 1934-1944 | 勝平大喜。国泰寺派管長3代。1934年(昭和9年)師家・管長を就任。 |
59 | 大眉敬俊 | 1882-1964 | 1944-1951 | 釈大眉。国泰寺派管長4代。1944年(昭和19年)9月、師家・管長を就任。1951年(昭和26年)3月退任。 |
60 | 江嶽義南 | 1883-1953 | 1952-1953 | 飯塚江嶽。国泰寺派管長5代。1952年(昭和27年)師家・管長を就任。1953年(昭和28年)在職中に死去。 |
61 | 大拙宗演 | 1899-1973 | 1953-1963 | 寺本大拙。国泰寺派管長6代。1953年(昭和28年)師家・管長を就任。1963年(昭和38年)退任。妙心寺東海庵に隠棲。 |
62 | 心田元明 | 1906-1986 | 1964-1986 | 稲葉心田。国泰寺派管長7代。1964年(昭和39年)5月師家・管長を就任。 |
63 | 大道宗弘 | 1947- | 1987- | 沢大道。国泰寺派管長8代。1987年(昭和62年)9月、師家・管長を就任。 |
画像
資料
- 「国泰寺文書」富山県編『古文書 第1巻』
- 『富山県政史』「大本山国泰寺」[1]
- 広瀬良弘1988「越中国泰寺派の展開」『禅宗地方展開史の研究』
- 1994『越中二上山と国泰寺:弘源禅寺総合調査予備報告書』
- 藤原良志1965「国泰寺仏足石の文様とその系譜」『富山史壇』32
- 2004「国泰寺の隠居寺、薬勝寺」『二上山研究』1
- 久保尚文2003「国泰寺開山「清泉妙意禅師行録」」『氷見市史研究』2
- 高畑崇導2006「北條時敬と国泰寺雪門:西田幾多郎と鈴木大拙にかかわった二人の師」『我聞如是』9