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建長寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月1日 (木)
建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗の本山寺院。本尊は地蔵菩薩。北条時頼が蘭渓道隆を招いて創建。中国杭州の万寿寺を模したという。大覚派の拠点で臨済宗建長寺派大本山。鎌倉五山の第1位で、鎌倉の中心的禅寺。西来庵に専門道場が設置されている(建長僧堂)。鎮守は半僧坊大権現。定額寺。元号寺。巨福山建長興国禅寺。
目次 |
概要
歴史
建長寺以前は心平寺という寺院があり、建長寺創建の頃には地蔵堂のみが残っていた。 1249年、北条時頼が寺院創建を発願。心平寺地蔵堂は小袋坂に移転した(のちに本尊は建長寺仏殿脇壇に奉遷)。12月8日に起工し、1253年11月25日、落慶。1246年に来日した蘭渓道隆が開山に招かれ、日本最初の禅宗専門道場としての体裁が整えられた(建仁寺や寿福寺は禅密兼修だった)。
元号により建長寺と名付けられたことは延暦寺や仁和寺のように国家的に鎌倉の中心的寺院となることが期待されたことの現れだろう。執権北条貞時のころには鎌倉幕府から五山の格式に列せられた。1308年12月22日に円覚寺と共に朝廷から定額寺に列格された。鎌倉幕府が滅亡した後も勢力を維持し、室町幕府からも重視された。1341年8月23日、室町幕府が五山の順序を定めた時には五山の第一位とされ、その後も常に第一位だった。
1293年4月、大地震で全焼。1300年ごろには仏殿を再建。1315年7月、火災。翌年、仏殿の立柱式が行われており、再建が進められた。1323年、華厳塔再建。1327年、拈華堂(法堂)・衆寮を建立。1331年には伽藍が整っていた。造営費用は建長寺船による貿易で賄った。
1414年12月、伽藍全焼し、正統庵だけが焼け残った。1426年8月火災。 戦国時代になると衰退。 1540年8月、強風で山門倒壊。1551年頃には仏殿・方丈は礎石のみとなり、法堂を仏殿の代わりとしていた。 1590年4月、豊臣秀吉が禁制を下して保護し、8月22日、知行を安堵した。 江戸時代になると復興が進み、 1641年、秉払の儀式が復興。 1647年、徳川家光が江戸増上寺の崇源院廟から仏殿と唐門を移築して復興。 1656年浴室焼失。1703年の鎌倉大地震に被災。倒壊は免れ、死者もなかったが、伽藍は傾いた。1756年方丈・書院再建。 1775年頃、山門再建。 1825年、法堂再建。
(『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』)
伽藍
- 総門
- 三門
- 仏殿
- 法堂
- 大庫裏
- 方丈:龍王殿ともいう。
- 書院
- 得月楼
- 紫雲閣
- 宗務本院
- 僧堂
- 小方丈
- 坐禅堂
- 鐘楼
- 開山堂:蘭渓道隆を祀る。
- 震災慰霊塔
- 巨福稲荷
- 半僧坊大権現
- 蘭渓道隆坐禅窟:半僧坊の近くにある。
- 顕日王分骨塔:皇室治定墓。正統院にある。高峰顕日の墓。
- 河村瑞賢墓
塔頭
- 西来庵:臨済宗専門道場。蘭渓道隆塔所。
- 正統院:高峰顕日塔所。高峰顕日(1241-1316)の分骨塔がある。正続院と入れ替わりで浄智寺から建長寺に移転した。
- 宝珠院:了堂素安塔所。
- 天源院:南浦紹明塔所。
- 龍峰院:約翁徳倹塔所。
- 回春院:玉山徳〓塔所。
- 禅居院:清拙正澄塔所。
- 正続院:無学祖元の塔所。鎌倉・円覚寺に移る。
- 宝泉庵:天鑑存円塔所。
- 向上庵:太古世源塔所。
- 妙高院:肯山聞悟塔所。
- 同契院:象外禅鑑塔所。
- 華蔵院:伯英徳儁塔所。
- 正宗庵:葦航道然塔所。
- 竜源庵:西澗子曇塔所。
- 玉雲庵:一山一寧塔所。
- 千竜庵:明極楚俊塔所。旧称は雲沢庵
- 雲外庵:枢翁妙環塔所。
- 広徳庵:古先印元塔所。
- 長好院:織田有楽斎塔所。
- 大統庵:廃絶。跡地に円応寺がある。
組織
住職
- 1蘭渓道隆(1213-1278)<>:来日僧。
- 2兀庵普寧(1197-1276)<>:来日僧。慈雲寺を創建。
- 3大休正念(1215-1289)<>:来日僧。中国温州出身。石渓心月に学ぶ。寿福寺・円覚寺・建長寺を歴住。浄智寺を創建。大休派の祖。諡号は仏源禅師。
- 4義翁紹仁(1217-1281)<>:来日僧。中国西蜀出身。蘭渓道隆の弟子で共に来日。建仁寺・建長寺を歴住。諡号は普覚禅師。
- 5無学祖元(1226-1286)<>:来日僧。円覚寺を創建。
- 6葦航道然(1219-1301)<>:蘭渓道隆の四高弟の一人。円覚寺・建長寺を歴住。
- 7鏡堂覚円(1244-1306)<>:来日僧。蜀出身。無学祖元と共に来日。浄智寺・円覚寺・建長寺・建仁寺を歴住。
- 8痴鈍空性(?-1301)<>:蘭渓道隆の弟子。建仁寺・建長寺を歴住。陸奥に霊山寺・普門寺・禅福寺を開く。
- 9桑田道海(?-1309)<>:播磨出身。蘭渓道隆、無学祖元に学ぶ。京都広覚寺を創建。建長寺・禅興寺・浄智寺を歴住。諡号は智覚禅師。
- 10一山一寧(1247-1317)<>:
- 11西澗子曇(1249-1306)<>:来日僧。一山一寧に従い再来日。円覚寺・建長寺を歴住。「西?」とも表記し「すどん」とも読む。諡号は大通禅師。
- 12無隠円範(1230-1307)<>:入元僧。紀伊出身。蘭渓道隆に師事。建仁寺・円覚寺・建長寺に歴住。諡号は覚雄禅師。
- 13南浦紹明(1235-1309)<>:応燈関派の開祖。
- 14高峰顕日(1241-1316)<>:後嵯峨天皇皇子。正統院に分骨塔。
- 15約翁徳倹(1245-1320)<>:入宋僧。蘭渓道隆の弟子。東大寺で受戒。鎌倉長勝寺を創建。建仁寺・南禅寺・建長寺を歴住。諡号は仏灯大光国師。
- 16東里弘会(?-1318)<>:来日僧。禅興寺・建長寺を歴住。徳慧。
- 17太古世源(1233-1321)<>:無学祖元の弟子。万寿寺・建長寺を歴住。光福寺創建。
- 18東明恵日(1272-1340)<>:来日僧。曹洞宗宏智派の来日僧。元の明州出身。沈氏。寧波天寧寺の直翁徳挙の法を継ぐ。北条貞時の招きで来日。曹洞宗第二伝とされる。円覚寺住職。東明和尚。
- 19霊山道隠(1255-1325)<>:来日僧。建長寺・円覚寺に歴住。諡号は仏慧禅師。
- 20南山士雲(1254-1335)<>:円爾弁円の弟子。聖一派系の荘厳門派の祖。崇寿寺を創建。
- 21玉山徳〓(1255-1334)<>:信濃出身。蘭渓道隆に師事。建長寺住職。建長寺回春庵を創建。禅籍や中国古典籍の出版を行った。諡号は仏覚禅師。
- 22清拙正澄(1274-1339)<>:来日僧。中国福州出身。浄智寺・円覚寺・建長寺・建仁寺・南禅寺に歴住。開善寺開山となる。建仁寺に再任。
- 23明極楚俊(1262-1336)<>:来日僧。中国明州慶元府の出身。1329年(元徳1年)来日。建長寺・南禅寺・建仁寺に歴住。摂津広厳寺を創建。楠木正成との縁があったという。
- 24嶮崖巧安(1252-1331)<>:肥前出身。大休正念の弟子。肥前大光寺を創建。円覚寺・建長寺を歴住。諡号は仏智円応禅師。
- 25独照祖輝(1262-1335)<>:義翁紹仁の弟子。瑞巌寺・聖福寺・浄妙寺・建仁寺・建長寺を歴住。諡号は真覚禅師。
- 26白雲恵宗()<>:世良田長楽寺11世。「白雲恵崇」?
- 27嵩山居中(1277-1345)<>:遠江出身。西澗子曇の弟子。入元して古林清茂に師事。南禅寺・建仁寺・円覚寺・建長寺を歴住。諡号は大本禅師。
- 28肯山聞悟()<>:
- 29竺仙梵僊(1292-1348)<1347>:来日僧。中国明州出身。保寧寺の古林清茂の法嗣。1329年(元徳1年)明極楚俊と共に来日。1332年(元弘2年/正慶1年)2月浄妙寺、1334年(建武1年)浄智寺、浄智寺楞伽院開山、1338年(延元3年/暦応1年)無量寿寺開山、1341年(暦応4年)南禅寺16世、1343年(興国4年/康永2年)南禅寺楞伽院開山、1346年(正平1年/貞和2年)2月真如寺、1347年(正平2年/貞和3年)1月建長寺29世を歴任。浄智寺楞伽院で死去し、塔所とする。「竺仙梵仙」とも。
- 30枢翁妙環(1273-1354)<>:下野出身。高峰顕日に師事。建長寺・円覚寺を歴住。諡号は仏寿禅師。
- 31象外禅鑑(1279-1355)<>:肥前出身。桃渓徳悟に師事。胎蔵寺を創建。円覚寺・建長寺を歴住。諡号は妙覚禅師。
- 32東陵永〓(1285-1365)<>:来日僧。曹洞宗宏智派の僧。明州四明出身。無学祖元の親族。天龍寺3世・南禅寺23世・建長寺32世・円覚寺26世を歴任。〓は「王興」。
- 33乾峰士曇(1285-1361)<>:筑前出身。南山士雲の弟子。東福寺・南禅寺を歴住し、1355年(文和4年)、円覚寺と建長寺を兼務。少雲。諡号は広智国師。
- 34明巌正因(1284-1369)<>:建長寺・円覚寺を歴住。塔所は円覚寺正伝庵。
- 35了堂素安(1292-1360)<>:建長寺・寿福寺を歴住。鎌倉法泉寺・伊豆・吉祥寺を創建。
- 36実翁聡秀(?-1371)<>:葦航道然の弟子。浄妙寺・建長寺を歴住。下野・長福寺を創建。
- 37物外可什(1286-1363)<>:入元僧。南浦紹明の弟子。中国の明極楚俊と共に帰国。崇福寺・建長寺を歴住。諡号は真照大定禅師。
- 38古先印元(1295-1374)<>:元の中峰明本の法嗣。幻住派。入元僧。薩摩出身。1337年(延元2年/建武4年)恵林寺4世。1338年(延元3年/暦応1年)等持院の開山。暦応寺(天龍寺)大勧進。1345年(興国6年/貞和1年)真如寺。1350年(正平5年/観応1年)京都万寿寺。浄智寺住職。須賀川普応寺開山。1358年(正平13年/延文3年)鎌倉長寿寺開山。1359年(正平14年/延文4年)鎌倉円覚寺29世。建長寺38世。塔所は建長寺広徳庵と長寿寺曇芳庵。正宗広智禅師。
- 39青山士永(1302-1369)<>:紀伊出身。南山士雲や夢窓疎石に師事。建仁寺・建長寺を歴住。「青山慈永」。諡号は仏観禅師。
- 40大喜法忻(?-1368)<>:今川国氏の孫。太平妙準の弟子。浄智寺・円覚寺・建長寺を歴住。円覚寺続灯庵に隠退。諡号は仏満禅師。
- 41天沢宏潤()<>:
- 42中巌円月 (1300-1375)<>:入元僧。中巌派の祖。相模出身。曹洞宗の東明慧日に学んだこともある。万寿寺・等持寺・建長寺・建仁寺を歴住。仏種慧済禅師。漢詩に優れ、五山文学の代表者の一人とされる。
- 43石室善玖(1294-1389)<>:入元僧。筑前出身。元の古林清茂に師事。万寿寺・天龍寺8世・円覚寺39世・建長寺43世などを歴任。平林寺開山。
- 44東林友丘(?-1369)<>:入元僧。一山一寧の弟子。入元して月江正印や楚石梵琦に学ぶ。建長寺・円覚寺を歴住。
- 45東伝士啓(?-1374)<>:筑前出身。南山士雲の弟子。普門寺・東福寺・崇寿寺・円覚寺・建長寺を歴住。
- 46皈山光一()<>:「帰山光一」。
- 47方崖元圭()<>:金龍院を創建。
- 48在庵普在(1298-1376)<>:阿波出身。東海竺源の弟子。建仁寺48世・天龍寺12世・建長寺48世を歴住。諡号は仏恵広慈禅師。
- 49大拙祖能(1313-1377)<>:入元僧。相模出身。大川道通らに師事。入元して千巌元長に学ぶ。肥後永徳寺・円覚寺・建長寺を歴住。諡号は広円明鑑禅師。
- 50傑翁是英(?-1378)<>:之庵道貫の下で出家。甲斐心経寺・円覚寺・建長寺を歴住。諡号は仏慧禅師。
- 51草堂林芳(生没年不詳)<>:龍山徳見の弟子。1374年(応安7年)寿福寺に住す。1379年(康暦1年)円覚寺龍興庵に隠退。のち建長寺に住す。龍淵庵で死去。没年や享年を欠く。(日本仏家人名辞書)
- 52可翁妙悦(?-1377)<>:日向出身。大友氏。高峰顕日の弟子。建長寺に住す。
- 53鈍夫全快(1309-1384)<>:入元僧。霊巌道昭の弟子。入元して月江正印に師事。信濃善応寺を創建。円覚寺・建長寺を歴住。
- 54春屋妙葩(1312-1388)<>:甲斐出身。平氏。伯父の夢窓疎石に師事。天龍寺10世・南禅寺39世・建長寺54世などを歴任。足利義満の帰依を受け相国寺を創建。初代僧録司。
- 55少室慶芳(?-1381)<>:高麗から来た空室妙空に師事。円覚寺・建長寺を歴住。円覚寺正源庵に隠棲。
- 56中山法頴(?-1381)<>:相模出身。寿福寺・建長寺56世・天龍寺21世・南禅寺47世?に歴住。1381年(永徳1年)11月7日死去。
- 57古天周誓()<>:
- 58月心慶円()<>:
- 59曇芳周応(?-1401)<>:夢窓疎石に師事。寿福寺・円覚寺・建長寺に歴住。画僧としても活躍。
- 60伯英徳俊(?-1403)<>:了堂素安の法嗣。入元。円覚寺50世、建長寺60世、天龍寺26世、南禅寺53世を歴任。
- 61古剣妙快(生没年不詳)<>:入元僧。夢窓疎石の弟子。臨川寺・建仁寺・建長寺に歴住。五山文学の代表者の一人とされる。了幻。
- 62宗遠応世()<>:入元僧。
- 63天鑑存円(?-1401)<>:浄智寺・円覚寺・建長寺に歴住。仏果禅師。
- 64大円興伊()<>:
- 65老仙元〓()<>:
- 66東暉僧海()<>:
- 67蔵海性珍(1335-1409)<>:浄智寺・建長寺・円覚寺を歴住。吉祥庵に隠退。
- 68友峰等益(1327-1405)<>:筑前出身。古先印元の弟子。長楽寺・浄智寺・建長寺を歴住。普慶寺を創建。
- 69中円法方()<>:
- 70心源希徹(?-1403)<>:武蔵清岩院を創建。
- 71東岳文昱()<>:金剛證寺を復興。寿福寺・円覚寺・建長寺を歴住。塔所は円覚寺富陽庵。
- 72愚渓得哲()<>:
- 73久庵僧可()<>:上杉憲将の子。
- 74徳岩保誉()<>:
- 75悦岩興忻()<>:「悦岩興惟」。
- 76象初聞光()<>:
- 77無外円方()<>:
- 78南宗禅能()<>:
- 79大雲素大()<>:
- 80春江中泰()<>:
- 81大綱帰整(生没年不詳)<>:枢翁妙環に師事。円覚寺・建長寺・伊豆国清寺に歴住。
- 82瑞翁応嘉()<>:
- 83少林如春(?-1411)<>:入元僧。曹洞宗宏智派の僧。東明慧日の弟子。元で恕仲無慍に学ぶ。円覚寺・建長寺を歴住。
- 84鷲峰妙年()<>:
- 85心聞令聞()<>:
- 86大茂浄林()<>:
- 87大安法慶()<>:川崎寿福寺を中興
- 88一渓方聞()<>:
- 89日峰法朝()<>:
- 90東曙等海()<>:古先印元の弟子。
- 91履仲元礼()<>:
- 92慶堂資善()<>:東際寺を創建。
- 93大用全角()<>:
- 94無言〓謹()<>:
- 95範堂円様()<>:
- 96大道良忍()<>:
- 97万古梵亘()<>:
- 98菊隠中亮()<>:
- 99古岩元陳()<>:織田寛故
- 100建宗長会()<>:
- 101照中等暾()<>:古先印元の弟子。
- 102松嶽孝貞()<>:
- 103東郊中申()<>:
- 104松崖有貞()<>:
- 105道庵曽顕()<>:
- 106耕隠曽尹()<>:
- 107沢隠寿彭()<>:
- 108大順裔順()<>:
- 109和庵清睦()<>:雲林清深の弟子。
- 110東英中季()<>:義堂周信の弟子。
- 111契翁応符()<>:
- 112東海総暉()<>:無礙妙謙の弟子。
- 113剣江妙龍()<>:
- 114益仲禅三()<>:
- 115一源元統()<>:
- 116中和等睦()<>:古先印元の弟子。
- 117本禅等択()<>:古先印元の弟子。護真寺創建。
- 118審中貞察()<>:大圭士?の弟子。
- 119直菴啓瑞(?-1411)<>:広福寺を創建。
- 120別宗周伝()<>:
- 121笑岩中訴()<>:「笑岩中?」。
- 122竹隠自厳(?-1436)<>:「自厳竹隠」。
- 123大建巨幢()<>:東伝士〓の弟子。建長寺・円覚寺に歴住。
- 124松堂周壮()<>:
- 125華宗心栄()<>:円覚寺伝宗庵に住す。
- 126唱岩自欽()<>:
- 127東生永旭()<>:中巌円月の弟子。
- 128古仲守哲()<>:
- 129玄海曽妙()<>:
- 130桂材宝梁()<>:
- 131万宗芳統()<>:
- 132竺西等梵(生没年不詳)<>:古先印元の弟子。浄妙寺・建長寺に歴住。了義寺を創建。
- 133汝仲聞爾()<>:
- 134一瑞中曇()<>:
- 135仲英本雄()<>:
- 136明湖法永()<>:
- 137朴中梵淳()<>:適庵法順の弟子。
- 138義海阿由()<>:
- 139覚海皈才()<>:「覚海帰才」
- 140仁菴要賢()<>:天初廓の弟子。
- 141龍岩士呈()<>:南山士雲の弟子
- 142智海充察()<>:黄龍派。覚庵充本の弟子。
- 143仲明心正()<>:
- 144清河統王()<>:
- 145一華心林(1376-1446)<>:月心慶円の弟子。円覚寺・建長寺に歴住。
- 146観堂得光()<>:
- 147鎌谷用尊()<>:
- 148伯温徳瑛()<>:
- 149字江徳永()<>:
- 150無滴世沢()<>:
- 151節翁中励()<>:
- 152大見妙喜()<>:
- 153毅仲宗厳()<>:
- 154星岩統悟()<>:仏光派
- 155中叟顕正()<>:
- 156以清嵩一()<>:
- 157大樹存松()<>:
- 158大蔭妙繁()<>:
- 159子純得公()<>:
- 160天初顕朝()<>:
- 161天助景祐()<>:
- 162竺雲顕騰()<>:仏光派
- 163香林徳聞()<>:
- 164玉隠英〓(1432-1524)<>:
- 165叔彭梵寿()<>:
- 166性雲全了()<>:
- 167心江元徹()<>:
- 168有材恵棟()<>:
- 169〓谷乾幢()<>:
- 170貞芳昌忠(生没年不詳)<>:
- 171龍江玄沢()<>:
- 172麟仲祖祥(生没年不詳)<>:
- 173用林顕材()<>:
- 174雲英祖台()<>:
- 175九成僧菊(?-1567)<>:
- 176俊叟禅乂()<>:
- 177天叟宗祐(?-1621)<>:
- 178龍派禅珠(1549-1636)<1610->:幻住派。1610年(慶長15年)住職就任。1602年(慶長7年)足利学校庠主となり復興。武蔵長徳寺の中興開山。(略歴は足利学校#組織を参照)
- 179瑞岩慶順()<>:
- 180最岳元良(?-1657)<>:以心崇伝の弟子。金地院2世。南禅寺・建長寺に歴住。
- 181大年碩寛()<>:
- 182明徹祖徳(?-1672)<>:足利学校庠主。1672年(寛文12年)4月27日死去。(略歴は足利学校#組織を参照)
- 183高嶽碩珉()<>:
- 184渓堂玄廉()<>:
- 185万源恵祥()<>:
- 186天渓碩東()<>:
- 187仏慈崇寛()<>:「剛室崇寬」。
- 188龍室徳湛()<>:
- 189東陽道杲()<>:
- 190龍山玄厳()<>:
- 191玉鳳禅珪()<>:
- 192長山僧安()<>:
- 193玉岡玄琢()<>:
- 194廓禅恵通()<>:
- 195松室玄彭()<>:
- 196義天碩信()<>:
- 197海門元東(-1759)<>:古月派の禅を導入。
- 198秀岩僧俊()<>:
- 199天瑞慧然()<>:
- 200大蟲正徹()<>:
- 201万拙碩誼(-1769)<>:
- 202大雲禅無()<>:
- 203龍門恵超()<>:
- 204瑞応徳祥()<>:
- 205雪巣須跋()<>:
- 206杲峰恵亮()<>:
- 207曹源子滴()<>:
- 208舜道一民()<>:
- 209平源徳均()<>:
- 210頑石元顕()<>:
- 211鼎山顕周()<>:
- 212修山徳聞()<>:
- 213闡宗禅提()<>:
- 214良遂碩才()<>:
- 215拙奏玄実()<>:
- 216実巌宗和(1755-1821)<>:足利学校庠主。実厳宗和。(略歴は足利学校#組織を参照)
- 217雄邦碩英()<>:
- 218真浄元苗(1772-1841)<>:湛堂元丈の弟子。建長寺・南禅寺に歴住。
- 219象河法演(-1839)<>:
- 220龍淵存胤()<>:
- 221拙堂元劼(?-1852)<>:丹後出身。真浄元苗の弟子。建長寺・南禅寺に歴住。
- 222即門恵枢()<>:
- 223箕山子牧()<>:
- 224願翁元志()<>:諦州至信の弟子。
- 225石敬碩敬()<>:
- 226等隣元云()<>:松本等隣
- 227定渓恵鎮()<>:
- 228観海恵眼()<>:
- 229復菴玄易()<>:
- 230香山自聞()<>:
- 231礼堂文宜()<>:
- 232梅巌碩文()<>:
- 233寿応碩静()<>:
- 234文国元柱(1841-1902)<>:越渓守謙の法嗣。陸奥国志田郡出身。1841年(天保12年)生。長徳寺の願翁元志に参禅。相国寺の越渓守謙に師事。1880年(明治13年)建長寺住職。就任後もしばしば京都に赴き越渓守謙に参禅。さらに荻野独園に参禅。1884年(明治17年)退任。1902年(明治35年)死去。
住職(近代)
- 235貫道周一()<>:霄貫道。建長寺派管長初代。越渓守謙の法嗣。1884年(明治17年)建長寺派管長。1890年(明治23年)遠江・方広寺から半僧坊大権現を勧請した。1904年(明治37年)9月15日死去。84歳。
- 維船智良()<>:柴崎維船。維船智亮。宗務総理。
- 洪嶽宗演(1859-1919)<1903-1905>:釈宗演。建長寺派管長2代。室号は楞伽窟。(略歴は鎌倉・円覚寺#組織を参照)
- 寿仙時保(1866-1956)<1905-1956>:菅原時保。建長寺派管長3代。竹田黙雷の法嗣。越後出身。1866年(慶応2年)4月2日生。建仁寺で竹田黙雷より印可を受ける。1905年(明治38年)5月28日、建長寺住職・管長に就任。1956年(昭和31年)8月29日死去。90歳。自坊は建長寺天源院。号は曇萃軒。
- 琢翁東珉(1875-1964)<>:宮田東珉。建長寺派管長4代。興禅護国会師家7世。池上湘山の法嗣。宮城県松島町出身。1875年(明治8年)生。瑞巌寺の真壁太陽に就いて得度。埼玉長徳寺の武田文国に随従する。妙心僧堂に掛錫し、小林虎関に学ぶ。のち池上湘山に師事し、嗣法。愛媛本源寺、愛媛如法寺、長徳寺を歴任。1933年(昭和8年)興禅護国会師家。77歳で建長僧堂師家。81歳で建長寺派管長事務取扱。82歳で管長就任。1964年(昭和39年)死去。90歳。室号は寒松室。
- 238葆州素堂(1912-2006)<1964-1980>:建長寺238世。建長寺派管長5代。京都建仁寺482世。建仁寺派管長8代。自坊は建仁寺霊洞院。湊葆州。湊素堂。徳島県徳島市出身。1912年(大正1年)生。旧制高校時代に雪蹊寺の山本玄峰に出会う。東京帝国大学印度哲学科卒。1938年(昭和13年)神戸徳光院で土岐湖山に師事して得度。1942年(昭和17年)建仁僧堂に掛搭。竹田穎川に師事。戦時出征。竹田穎川の死後、竹田益州に師事。1955年(昭和30年)串本無量寺住職。ついで建長寺派川口長徳寺住職。1964年(昭和39年)建長寺住職・臨済宗建長寺派管長・建長僧堂師家。1980年(昭和55年)退任し建仁僧堂師家。1989年(平成1年)、建仁寺住職に就任。1999年(平成11年)退任。2006年(平成18年)7月24日死去。94歳。室号は用いず。
- 中川貫道(1910-1987)<1980-1987>:建長寺派管長6代。1910年(明治43年)生。1980年(昭和55年)住職・管長に就任。1987年(昭和62年)死去。室号は青龍窟。
- 240吉田正道(1940-)<1987->:建長寺派管長7代。建仁寺の竹田益州(1896-1989)の法嗣。岐阜県山県市出身。1940年(昭和15年)生。12歳で宝光寺の六鹿東栗の下で得度。1959年(昭和34年)、建仁僧堂の竹田益州に師事。東京寒光寺住職。1987年(昭和62年)、建長寺住職・7代管長・僧堂師家に就任。室号は栢樹庵。鎌倉市仏教会会長。
(『日本仏家人名辞書』ほか)
1679年(延宝7年)成立の『鎌倉五山住持位次』では185世まで記す。