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鎌倉・円覚寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月1日 (木)
円覚寺(えんがくじ)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗の本山寺院。本尊は宝冠釈迦如来だが創建時は盧遮那仏。臨済宗円覚寺派大本山。鎌倉五山の第2位。北条時宗が無学祖元を招いて創建。仏光派の拠点だが、十方住持制とされ、曹洞宗を含む様々な流派の僧侶が住職を務めた。関東祈祷所。一山一寧、東明慧日、夢窓疎石らが活躍した。近代には人間禅教団を派生したり、鈴木大拙が参禅したりした。塔頭正続院には舎利殿や専門道場(円覚僧堂)がある。鎮守は弁天堂。定額寺。瑞鹿山円覚興聖禅寺。(参考 同名寺院円覚寺)
目次 |
歴史
1282年、北条時宗が創建。仏殿・僧堂・庫院が建ち、本尊は[[[盧遮那仏]]だった。1279年に来日した無学祖元を開山に迎えた。十方住持制を取ったため、法系によらず、曹洞宗のものが住職に付くこともあった。
1283年、関東祈祷所となる。仏殿・土地堂・衆寮・祖堂・行堂・客殿・延寿堂などが建てられた。1285年、華厳塔を建立。同年、舎利殿を建立し、源実朝が宋から請来し、もと大慈寺に奉安していた仏舎利を納めた(1309年とも)。1287年、火災。1290年火災。1293年、大地震。1296年復興。1316年、地震群発。仏殿・方丈・仏日庵を復興。1318年焼失。1322年、法堂再建。鎌倉幕府により五山に列格。1308年12月22日、建長寺と共に朝廷により定額寺に列した。 1323年、北条貞時十三年忌供養が円覚寺で営まれ、各寺が大勢の僧侶を引き連れて出仕した。
1340年と1342年、室町幕府は円覚寺規式を定めて保護した。 1342年時点では五山2位となり、京都五山と鎌倉五山に分割された後、1386年に鎌倉五山2位となった。1396年、舎利殿の舎利を足利義満が京都に持ち去った(1507年頃に仏舎利が天から降りてきて鎌倉に舞い戻ったという)。
1374年11月23日に大規模な火災があり諸堂が焼失。これは仏光派と大覚派(建長寺系)の僧侶の対立に起因し、大覚派の僧侶が放火したといわれる。以降、往時の盛観を取り戻すことはなかった。
1378年仏殿再建。 1401年、1407年、1421年、1459年にも火災。
戦国時代になると衰退。1551年には仏殿はなく、法堂を仏殿の代わりとしていた。1563年の火災の被害は大きく、諸堂焼失。舎利殿も焼失したとみられる。1571年までに北条氏康が許可を出して、太平寺客殿もしくは仏殿を移築して舎利殿が復興され、禅宗建築の代表的な遺構として知られる。
三伯昌伊や天甫昌円は伽藍復興に尽力するとともに、京都から幻住派の法脈を導入して興隆させた。
1590年4月、豊臣秀吉が、禁制を下して保護。8月22日には知行を安堵した。 江戸時代、建長寺に続いて禅林規式の復興が行われ1654年頃には整った。1625年、仏殿再建。1699年、経堂と僧堂を兼ねた選仏場を建立した。1703年の鎌倉大地震で被災。1705年、仏殿修復。 明和年間、誠拙周樗が僧堂を再興し、古月禅材派下の禅を伝えた。 1783年頃に山門竣工。1839年、唐門竣工。
古月禅材派下の法系が途絶え1877年、儀山善来を招いて僧堂を開単した。 明治以降は在家のための居士禅の普及を重視し、夏目漱石をはじめ知識人、官僚、文化人、軍人らが集まった。人間禅もこの流れから生まれた。 (『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』)
伽藍
- 惣門
- 山門:天明5年(1785)の無学祖元500年遠忌に際して再建。十一面観音・十二神将・十六羅漢を祀る。
- 仏殿:円覚寺の本堂。現在の堂は1964年(昭和39年)の再建。「大光明宝殿」の額が掛かる。
- 法堂:現在は廃絶。
- 大方丈
- 庫裏:大方丈に付属。
- 書院:大方丈に付属。
- 宗務本所:臨済宗円覚寺派の宗務本所。
- 鐘楼
- 白鹿洞:無学祖元の法話を聴くために白鹿が出てきたという洞窟。瑞鹿山の山号の語源。
- 開基廟:
- 禅堂
- 開山堂
- 開山塔
- 居士林:1928年(昭和3年)、東京牛込から柳生流剣道場を移築。一般向けの坐禅道場として利用されている。
- 般若水:
- 十王堂:
- 妙香池:虎頭岩
- 一撃亭:
- 選仏場:経堂と僧堂を兼ねる。1699年(元禄12年)の再建。薬師如来を祀る。
- 華厳塔
- 弁天堂:鐘楼のそばにある。江ノ島弁才天の加護で梵鐘が完成したとして祀った。
- 舎利殿:能仁寺から請来し、大慈寺などに奉安されていた仏牙舎利を祀るという。現在の建物は旧太平寺仏殿(もしくは客殿)。
- 白鷺池:白鷺となった鶴岡八幡宮の神霊が無学祖元をこの地に導いたという。
塔頭
- 正続院:無学祖元の塔所。舎利殿がある。臨済宗専門道場が置かれている。円覚僧堂。元は祥勝院と称した。
- 仏日庵:北条時宗の塔所
- 黄梅院:夢窓疎石塔所。
- 白雲庵:曹洞宗宏智派の拠点だった。東明慧日塔所。
- 如意庵:無礙妙謙塔所。
- 正伝庵:明巌正因塔所。
- 続燈庵:大喜法欣塔所。
- 寿徳庵:月潭中円塔所。
- 龍隠庵:
- 富陽庵:東岳文〓塔所。
- 雲頂庵:長勝寺の開山塔。空山円印塔所。同寺は廃絶。
- 伝宗庵:南山士雲塔所。
- 松嶺院:叔悦禅懌塔所。
- 臥龍庵:大川道通塔所。
- 帰源院:傑翁是英塔所。
- 蔵六庵:大休正念塔所。寿福寺に創建されたが円覚寺に移転。
- 済蔭庵:曇芳周応塔所。
- 桂昌院:承先道欽塔所。
- 景福庵:廃絶?
- 天池庵:容山可充塔所。明治初年に横浜市久保山に移転。円覚寺別院
- 法珠院:大雅省音塔所。廃絶?
- 大義庵:天沢宏潤塔所。廃絶?
- 瑞光庵:天外志高塔所。廃絶?
- 長寿院:廃絶?
- 瑞雲庵:廃絶?
組織
1679年(延宝7年)成立の『鎌倉五山住持位次』では大巓梵千(164世とする)まで記す。
円覚寺歴代住職(中世)
世数 | 名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 無学祖元 | 1226-1286 | 来日僧。円覚寺を創建。 | |
2 | 大休正念 | 1215-1289 | 来日僧。中国温州出身。石渓心月に学ぶ。寿福寺・円覚寺・建長寺を歴住。浄智寺を創建。大休派の祖。諡号は仏源禅師。 | |
3 | 鏡堂覚円 | 1244-1306 | 来日僧。蜀出身。無学祖元と共に来日。浄智寺・円覚寺・建長寺・建仁寺を歴住。 | |
4 | 桃渓徳悟 | 1240-1306 | 入元僧。蘭渓道隆の弟子。無学祖元の来日と共に帰国。円覚寺・東漸寺を歴住。諡号は宏覚禅師。 | |
5 | 葦航道然 | 1219-1301 | 蘭渓道隆の四高弟の一人。円覚寺・建長寺を歴住。 | |
6 | 西澗子曇 | 1249-1306 | 来日僧。一山一寧に従い再来日。円覚寺・建長寺を歴住。「西〓」とも表記し「すどん」とも読む。諡号は大通禅師。 | |
7 | 一山一寧 | 1247-1317 | 建長寺・円覚寺を歴住●。 | |
8 | 無隠円範 | 1230-1307 | 入元僧。紀伊出身。蘭渓道隆に師事。建仁寺・円覚寺・建長寺に歴住。諡号は覚雄禅師。 | |
9 | 無為昭元 | 1245-1311 | 円爾弁円の弟子。承天寺・三聖寺・東福寺・円覚寺を歴住。諡号は大智海禅師。 | |
10 | 東明恵日 | 1272-1340 | 曹洞宗宏智派の来日僧。元の明州出身。沈氏。寧波天寧寺の直翁徳挙の法を継ぐ。北条貞時の招きで来日。曹洞宗第二伝とされる。円覚寺住職。東明和尚。 | |
11 | 南山士雲 | 1254-1335 | 円爾弁円の弟子。聖一派系の荘厳門派の祖。崇寿寺を創建。建長寺・円覚寺を歴住●。 | |
12 | 霊山道隠 | 1255-1325 | 来日僧。建長寺・円覚寺に歴住。諡号は仏慧禅師。 | |
13 | 雲屋恵輪 | |||
14 | 嶮崖巧安 | 1252-1331 | 肥前出身。大休正念の弟子。肥前大光寺を創建。円覚寺・建長寺を歴住。諡号は仏智円応禅師。 | |
15 | 夢窓疎石 | 1275-1351 | 天龍寺を創建。円覚寺に住す。 | |
16 | 清拙正澄 | 1274-1339 | 来日僧。中国福州出身。浄智寺・円覚寺・建長寺・建仁寺・南禅寺に歴住。開善寺開山となる。建仁寺に再任。 | |
17 | 大川道通 | 1265-1339 | 大休正念の弟子。寿福寺・円覚寺に歴住。建長寺に招請されたが入山前に死去。 | |
18 | 白雲恵宗 | 建長寺・円覚寺を歴住●。「白雲恵崇」? | ||
19 | 天外志高 | 南洲宏海の弟子。浄智寺・円覚寺に住す。 | ||
20 | 嵩山居中 | 1277-1345 | 遠江出身。西澗子曇の弟子。入元して古林清茂に師事。南禅寺・建仁寺・円覚寺・建長寺を歴住。諡号は大本禅師。 | |
21 | 枢翁妙環 | 1273-1354 | 下野出身。高峰顕日に師事。建長寺・円覚寺を歴住。諡号は仏寿禅師。 | |
22 | 東峰通川 | 大休正念の弟子。 | ||
23 | 象外禅鑑 | 1279-1355 | 肥前出身。桃渓徳悟に師事。胎蔵寺を創建。円覚寺・建長寺を歴住。諡号は妙覚禅師。 | |
24 | 明巌正因 | 1284-1369 | 建長寺・円覚寺を歴住。塔所は円覚寺正伝庵。 | |
25 | 乾峰士曇 | 1285-1361 | 筑前出身。南山士雲の弟子。東福寺・南禅寺を歴住し、1355年(文和4年)、円覚寺と建長寺を兼務。少雲。諡号は広智国師。 | |
26 | 東陵永〓 | 1285-1365 | 来日僧。曹洞宗宏智派の僧。明州四明出身。無学祖元の親族。天龍寺3世・南禅寺23世・建長寺32世・円覚寺26世を歴任。〓は「王興」。 | |
27 | 雲山智越 | 1280-1358 | 京都出身。無隠円範の弟子。円覚寺・浄妙寺を歴住。 | |
28 | 容山可充 | 嶮崖巧安の弟子。 | ||
29 | 古先印元 | 1295-1374 | 1359 | 元の中峰明本の法嗣。幻住派。入元僧。薩摩出身。1337年(延元2年/建武4年)恵林寺4世。1338年(延元3年/暦応1年)等持院の開山。暦応寺(天龍寺)大勧進。1345年(興国6年/貞和1年)真如寺。1350年(正平5年/観応1年)京都万寿寺。浄智寺住職。須賀川普応寺開山。1358年(正平13年/延文3年)鎌倉長寿寺開山。1359年(正平14年/延文4年)鎌倉円覚寺29世。建長寺38世。塔所は建長寺広徳庵と長寿寺曇芳庵。正宗広智禅師。 |
30 | 大喜法忻 | ?-1368 | 今川国氏の孫。太平妙準の弟子。浄智寺・円覚寺・建長寺を歴住。円覚寺続灯庵に隠退。諡号は仏満禅師。 |
円覚寺歴代住職(中世2)
世数 | 名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
31 | 天沢宏潤 | 建長寺・円覚寺を歴住●。 | ||
32 | 東林友丘 | ?-1369 | 入元僧。一山一寧の弟子。入元して月江正印や楚石梵琦に学ぶ。建長寺・円覚寺を歴住。 | |
33 | 不聞契聞 | 1302-1369 | 曹洞宗の入元僧。武蔵出身。東明慧日の弟子。元に渡り、帰国後円覚寺白雲庵に住す。駿河清見寺・相模金山寺・円覚寺に歴住。号は万休叟。 | |
34 | 東伝士啓 | ?-1374 | 筑前出身。南山士雲の弟子。普門寺・東福寺・崇寿寺・円覚寺・建長寺を歴住。 | |
35 | 皈山光一 | 建長寺・円覚寺を歴住●。「帰山光一」。 | ||
36 | 無礙妙謙 | ?-1369 | 入元僧。武蔵出身。高峰顕日の弟子。元に渡り、中峰明本に師事。寿福寺・円覚寺を歴住。伊豆国清寺開山となる。諡号は仏真禅師。「無碍妙謙」。 | |
37 | 梅林霊竹 | 「霊弁」とあるのは誤りか。 | ||
38 | 傑翁是英 | ?-1378 | 之庵道貫の下で出家。甲斐心経寺・円覚寺・建長寺を歴住。諡号は仏慧禅師。 | |
39 | 石室善玖 | 1294-1389 | 入元僧。筑前出身。元の古林清茂に師事。万寿寺・天龍寺8世・円覚寺39世・建長寺43世などを歴任。平林寺開山。 | |
40 | 大拙祖能 | 1313-1377 | 入元僧。相模出身。大川道通らに師事。入元して千巌元長に学ぶ。肥後永徳寺・円覚寺・建長寺を歴住。諡号は広円明鑑禅師。 | |
41 | 大法大闡 | 1306-1384 | 武蔵出身。夢窓疎石の弟子。浄智寺・円覚寺41世・天龍寺?を歴任。 | |
42 | 此山妙在 | 1296-1377 | 入元僧。信濃出身。高峰顕日の弟子。建仁寺38世・天龍寺7世・南禅寺29世・円覚寺42世を歴任。 | |
43 | 大虚契充 | |||
44 | 少室慶芳 | ?-1381 | 高麗から来た空室妙空に師事。円覚寺・建長寺を歴住。円覚寺正源庵に隠棲。 | |
45 | 鈍夫全快 | 1309-1384 | 入元僧。霊巌道昭の弟子。入元して月江正印に師事。信濃善応寺を創建。円覚寺・建長寺を歴住。 | |
46 | 太岳妙積 | |||
47 | 椿庭海寿 | 1318-1401 | 入元僧。遠江出身。竺仙梵僊の法嗣。元に渡り、23年間滞在。天寧寺蔵主、浄慈寺後堂首座、1372年、福昌寺住職を歴任。明の太祖から優遇された。真如寺、浄智寺、円覚寺47世、1386年(元中3年/至徳3年)天龍寺23世、1387年(元中4年/嘉慶1年)南禅寺46世を歴任。塔所は南禅寺語心院、高成寺回春庵。 | |
48 | 香林讖桂 | 1313-1385 | 肯山聞悟の弟子。諡号は等慈禅師。 | |
49 | 承先道欽 | 塔所は円覚寺桂昌庵。 | ||
50 | 伯英徳俊 | ?-1403 | 了堂素安の法嗣。入元。円覚寺50世、建長寺60世、天龍寺26世、南禅寺53世を歴任。 | |
51 | 天鑑存円 | ?-1401 | 浄智寺・円覚寺・建長寺に歴住。仏果禅師。 | |
52 | 高山道妙 | |||
53 | 大伝有承 | |||
54 | 大円興伊 | 建長寺・円覚寺を歴住●。 | ||
55 | 玉崗蔵珍 | 1315-1395 | 来日僧。別伝妙胤の法嗣。別伝妙胤と共に来日。上野長楽寺37世・鎌倉円覚寺55世を歴任。「玉岡蔵珍」。 | |
56 | 蔵海性珍 | 1335-1409 | 浄智寺・建長寺・円覚寺を歴住。吉祥庵に隠退。 | |
57 | 老仙元〓 | 建長寺・円覚寺を歴住●。 | ||
58 | 曇芳周応 | ?-1401 | 夢窓疎石に師事。寿福寺・円覚寺・建長寺に歴住。画僧としても活躍。 | |
59 | 華岳周潘 | |||
60 | 無外円方 | 建長寺・円覚寺を歴住●。 | ||
61 | 東岳文昱 | 金剛證寺を復興。寿福寺・円覚寺・建長寺を歴住。塔所は円覚寺富陽庵。 | ||
62 | 少林如春 | ?-1411 | 入元僧。曹洞宗宏智派の僧。東明慧日の弟子。元で恕仲無慍に学ぶ。円覚寺・建長寺を歴住。 | |
63 | 愚渓得哲 | 建長寺・円覚寺を歴住●。 | ||
64 | 悦岩興忻 | 建長寺・円覚寺を歴住●。「悦岩興惟」。 | ||
65 | 岳雲祖松 | 大川道通の弟子。 | ||
66 | 月潭中円 | |||
67 | 大翁正隆 | |||
68 | 輔宗妙佐 | |||
69 | 恕堂敬忠 | |||
70 | 全用大用 | 生没年不詳 | 少林桂萼の法嗣。上野長楽寺52世。鎌倉円覚寺70世。南禅寺80世。「大用全角」は誤りか。 | |
71 | 無等梵与 | |||
72 | 久庵僧可 | 建長寺・円覚寺を歴住●。上杉憲将の子。 | ||
73 | 照中等暾 | 古先印元の弟子。 | ||
74 | 太寧了喜 | 鈍翁了愚の弟子。 | ||
75 | 心翁中樹 | 方外宏遠の弟子。 | ||
76 | 建宗長会 | |||
77 | 東海総暉 | 無礙妙謙の弟子。 | ||
78 | 雲林妙冲 | 生没年不詳 | 仏光派。 | |
79 | 東生永旭 | 円覚寺・建長寺に歴住●。中巌円月の弟子。 | ||
80 | 大化浄舜 | |||
81 | 東英中季 | 義堂周信の弟子。 | ||
82 | 天心性中 | |||
83 | 俊茂中快 | 夢窓疎石の弟子。 | ||
84 | 一曇聖瑞 | 生没年不詳 | 復庵宗己の弟子。円覚寺・南禅寺に歴住。 | |
85 | 玉英見機 | |||
86 | 覚隠友修 | |||
87 | 金城法都 | |||
88 | 月浦宗晃 | |||
89 | 蔵中珠珍 | |||
90 | 明仲中哲 | |||
91 | 明浦徳聡 | |||
92 | 大建巨幢 | 東伝士〓の弟子。建長寺・円覚寺に歴住。 | ||
93 | 徳操天松 | |||
94 | 玄海曽妙 | 円覚寺・建長寺に歴住●。 | ||
95 | 九華純乾 | 南峰妙譲の弟子。 | ||
96 | 林宗梵松 | 義堂周信の弟子。 | ||
97 | 大龍心興 | |||
98 | 朴仲梵淳 | |||
99 | 華宗心栄 | |||
100 | 明遠天哲 | |||
101 | 大雅省音 | 塔所は円覚寺龍隠庵。 | ||
102 | 汝中聞爾 | 象初聞先弟子。「汝仲聞爾」。 | ||
103 | 栢岩継趙 | |||
104 | 一峰〓〓 | |||
105 | 桂岩存香 | 天鑑存円の弟子。 | ||
106 | 華翁英冑 | 密室守巌の弟子。 | ||
107 | 長川祥玖 | |||
108 | 一瑞中曇 | 曇芳周応の弟子。 | ||
109 | 仲英本雅 | 「仲英本雄」。仏光派。 | ||
110 | 覚海皈才 | 建長寺・円覚寺を歴住●。「覚海帰才」「学海帰才」 | ||
111 | 東白長旭 | 瑞峰士麟の弟子。 | ||
112 | 雲渓昌猷 | 義堂周信の弟子。 | ||
113 | 南谷昌薫 | 古天周誓の弟子。 | ||
114 | 春渓景芳 | |||
115 | 雲渓正安 | 「雪渓正安」か。永保寺・円覚寺に歴住。 | ||
116 | 蘭堂妙薫 | |||
117 | 浦雲周南 | 義堂周信の弟子。 | ||
118 | 竺元法勲 | |||
119 | 芳谷芳〓 | 少室慶芳の弟子。〓は「」。 | ||
120 | 子有周有 | 春屋妙葩の弟子。 | ||
121 | 用林梵樟 | 義堂周信の弟子。 | ||
122 | 謙谷用尊 | |||
123 | 一華心林 | 1376-1446 | 月心慶円の弟子。円覚寺・建長寺に歴住。 | |
124 | 中明心正 | |||
125 | 太叙士倫 | 「大叙士倫」。 | ||
126 | 徳標純清 | ?-1444 | 曹洞宗宏智派。無外円方の弟子。 | |
127 | 礼岩中和 | |||
128 | 伯温徳瑛 | 建長寺・円覚寺を歴住●。 | ||
129 | 古教妙訓 | 瑞泉寺・円覚寺を歴住。 | ||
130 | 玉渓光温 | |||
131 | 西菴中蓮 | 月潭中円の弟子。「西庵中蓮」。円覚寺寿徳庵。 | ||
132 | 東岩守旭 | |||
133 | 以天正文 | |||
134 | 恩江徳荷 | |||
135 | 続宗法紹 | 戸塚長福寺を創建。 | ||
136 | 芳隠省菊 | 「芳隠有菊」は誤りか。円覚寺龍隠庵を創建。 | ||
137 | 叔甫長全 | |||
138 | 仙夫摠竺 | |||
139 | 虚中周頤 | |||
140 | 以浩妙然 | 久庵僧可の弟子。 | ||
141 | 芳郷妙続 | |||
142 | 集翁興徳 | ?-1489 | ||
143 | 秋壑徳隼 | |||
144 | 誠中中淳 | |||
145 | 芳林中恩 | 宗甫紹鏡の弟子。 | ||
146 | 子明紹俊 | ?-1536 | ||
147 | 禹玉法〓 | 子文法林の弟子。〓は「」 | ||
148 | 月舟正心 | |||
149 | 叔悦禅懌 | ?-1535 | 太田道灌の叔父ともいう。塔所は円覚寺松嶺院。 | |
150 | 仁英省輔 | 月渓省心の弟子。 | ||
151 | 景初周随 | ?-1557 | ||
152 | 奕芳梵梅 | |||
153 | 奇文禅才 | 1493-1571 | 相模出身。叔悦禅懌の弟子。 | |
154 | 仁芳法堯 | 西派法崑の弟子。 | ||
155 | 三伯昌伊 | 季龍周興の弟子。甘棠院に住す。 |
円覚寺歴代住職(近世)
世数 | 名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
156 | 天甫昌円 | ?-1630 | ||
157 | 雲如妙意 | 三伯玄伊や鶴隱周音に学ぶ。 | ||
158 | 岫雲玄瑞 | 甘棠院に住す。 | ||
159 | 謹中是愿 | 越秀禅〓、古帆周信に学ぶ。〓は「」。 | ||
160 | 三英昌益 | |||
161 | 天運妙籌 | |||
162 | 雪山碩林 | ?-1687 | ||
163 | 大巓梵千 | 1629-1685 | 岫雲玄端の弟子。梵通。 | |
164 | 英嶽昌俊 | |||
165 | 一睡碩秀 | 月桂寺・徳雲寺に住す。一翁碩觜の弟子。 | ||
166 | 徹伝昌永 | 謹中是愿の弟子。「徹伝昌泉」? | ||
167 | 大機是倫 | |||
168 | 大円周洪 | 「大園周洪」か。 | ||
169 | 潭日昌徴 | |||
170 | 雷啓昌益 | 正宗寺に住す。 | ||
171 | 浮山碩然 | 覚翁円智の弟子 | ||
172 | 東水碩柳 | |||
173 | 義海昌宜 | |||
174 | 東岳是岱 | |||
175 | 燈外周法 | 大園周洪の弟子。 | ||
176 | 鳳林周幹 | |||
177 | 峻道碩隆 | |||
178 | 月岺周珊 | |||
179 | 岱洲周棟 | 正宗寺に住す。 | ||
180 | 順叟昌朴 | |||
181 | 霊峰周雍 | |||
182 | 千巌是釣 | |||
183 | 東山周朝 | 円覚寺仏日庵に住す。 | ||
184 | 節山周忠 | |||
185 | 別峰法教 | |||
186 | 実際法如 | |||
187 | 寰海周朝 | |||
188 | 誠拙周樗 | 1745-1820 | 伊予出身。東山周朝の弟子。相国寺大智院、相国寺玉龍庵に住す。諡号は大用国師。 | |
189 | 睦洲周古 | |||
190 | 清蔭音竺 | ?-1830 | 周防出身。誠拙周樗の弟子。瑞泉寺・円覚寺に歴住。南禅寺に招かれたが就任前に死去。 | |
191 | 志山梵俊 | 誠拙周樗の弟子。 | ||
192 | 湘山昌〓 | 〓は「」。 | ||
193 | 徽叟是典 | 六湛正鶚の弟子。円覚寺帰源院に住す。 | ||
194 | 龍爪硯見 | |||
195 | 鼎洲梵重 | |||
196 | 東海昌晙 | ?-1865 | 備後出身。誠拙周樗の弟子。南禅寺・円覚寺を歴住。 | |
197 | 竹院昌〓 | 1796-1867 | 長門出身。吉田松陰の伯父。瑞泉寺・円覚寺・南禅寺に歴住。〓は「」。 | |
198 | 貫宗梵志 | |||
199 | 融峰是坦 | 徽叟是典の弟子。「融峰是垣」は誤りか。 | ||
200 | 荊叢恵通 |
円覚寺歴代住職(近代)
世数 | 名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
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201 | 洪川宗温 | 1816-1892 | 今北洪川。円覚寺派初代管長。儀山善来の法嗣。1816年(文化13年)7月19日生。大坂福島出身。当初は藤沢東垓に儒学を学ぶ。1840年(天保11年)、家族を捨て相国寺の大拙承演に師事。曹源寺の儀山善来から嗣法。1858年(安政5年)永興寺住職。廃仏毀釈に対抗して儒仏一致を説く。さらにキリスト教を排撃した。居士禅を奨励し、知識人が禅にふれる下地を作った。1875年(明治8年)臨済宗東京十山総黌大教師となる。同年、教部省の命で、円覚寺住職就任。まもなく円覚寺派初代管長。1892年(明治25年)1月16日死去。室号は蒼龍窟。著書に『禅海一瀾』など。 | |
202 | 洪嶽宗演 | 1859-1919 | 釈宗演。今北洪川の法嗣。アメリカに最初に本格的に禅を紹介すると共に日本国内の知識人の間に禅ブームを起こした。若狭国大飯郡高浜村の出身。1859年(安政6年)12月18日生。1870年(明治3年)、妙心寺天授院の越渓守謙に師事して得度。1878年(明治11年)、円覚寺の今北洪川に参禅し、のち嗣法。慶応義塾卒。セイロン(スリランカ)に留学。1892年(明治25年)、円覚寺住職・円覚寺派管長。1893年(明治26年)、シカゴの第1回世界宗教会議に出席。1903年(明治36年)、建長寺住職・建長寺派管長を兼任。1905年(明治38年)、両派管長を辞任。同年、東慶寺住職。同年、再度渡米するが、このとき鈴木大拙が随行している。1906年(明治39年)、ヨーロッパ・インドを歴訪。朝鮮、満洲、台湾も巡教する。1914年(大正3年)臨済宗大学(花園大学)学長。1916年(大正5年)円覚寺派管長に再任。1919年(大正8年)11月1日死去。室号は楞伽窟。 | |
203 | 函応宗海 | 1857-1923 | 宮路宗海。興禅護国会師家3世。中原東嶽の法嗣。三河国幡豆郡出身。1857年(安政4年)生。豊橋東観音寺で得度。名古屋で儒者佐藤牧山に学ぶ。22歳で円覚僧堂に掛塔し今北洪川に師事。1886年(明治19年)相国僧堂に転錫し荻野独園に学ぶ。荻野独園の死後、その弟子の中原東嶽から嗣法。西尾実相寺、豊橋正宗寺、円覚寺白雲庵の住職を経て1905年(明治38年)円覚寺派管長。1916年(大正5年)、興禅護国会師家就任。1910年(明治43年)管長退任。1923年(大正12年)死去。室号は踏頂窟。著書に『踏頂窟語鈔』。 | |
211 | 天真慈教 | 1856-1924 | 1910- | 広田天真。広田慈教。円覚寺211世。東福寺295世。伊予国越智郡の豪商の出身。1862年(文久2年)生。6歳で今治仏城寺で得度。東福寺で儀山に師事。円覚寺で今北洪川に学ぶ。仏城寺住職を経て1890年(明治23年)西条保国寺住職。1910年(明治43年)円覚寺派管長。1916年(大正5年)5月27日、東福寺派管長。11月15日、東福寺で開堂。1923年(大正12年)保国寺に隠退。1924年(大正13年)死去。保国寺に天真堂がある。室号は本光窟。 |
212 | 堯道慧訓 | 1872-1961 | 1920- | 古川堯道。釈宗演の法嗣。島根県平田出身。1872年(明治5年)生。円成寺で得度。1887年(明治20年)松江万寿寺の勝平大航に参禅。円覚寺で釈宗演に師事し嗣法。普応寺、東慶寺、新潟関興寺、浄智寺を歴任。1916年(大正5年)円覚僧堂師家。1920年(大正9年)管長就任。1961年(昭和36年)死去。室号は毒狼窟。 |
213 | 晦巌常正 | 1876-1946 | 1930- | 太田常正。太田晦巌。1930年(昭和5年)円覚寺派管長7代。1935年(昭和10年)大徳寺派管長8代。(略歴は大徳寺#組織を参照) |
214 | 宝嶽慈興 | 1875-1942 | 棲悟宝嶽(棲梧宝岳)。広徳寺住職。大正初年、恵林寺住職。1940年(昭和15年)円覚寺住職。日暹寺貫首。室号は棲悟軒。 | |
215 | 宗源別峰 | 1891-1979 | 1942-1979 | 朝比奈宗源。静岡県清水出身。古川堯道の法嗣。1891年(明治24年)生。1902年(明治35年)興津清見寺(妙心寺末)で得度。1909年(明治42年)妙心僧堂で池上湘山に師事。円覚僧堂で古川堯道に学び1917年(大正6年)に嗣法。1922年(大正11年)日本大学宗教専門部卒。1922年(大正11年)2月、浄智寺住職。1942年(昭和17年)10月円覚寺住職代務者。同年12月、正式に住職となる。1945年(昭和20年)4月、合同臨済宗の解散に伴い、円覚寺派管長。1963年(昭和38年)世界連邦日本仏教徒協議会を設立し、会長就任。駒沢大学教授。伊勢神宮で天照大神の神託を受けて1974年(昭和49年)、「日本を守る会」(日本会議の前身団体の一つ)を設立。1979年(昭和54年)8月25日死去。88歳。墓所は円覚寺正続院、浄智寺。室号は平等軒。著書に『碧巌録訳註』『臨済録訳註』など。 |
216 | 太年碩豊 | 1904-1980 | 1979-1980 | 松尾太年。自坊は東京月桂寺。佐賀県出身。1904年(明治37年)生。梅林寺の東海猷禅について得度。1927年(昭和2年)建仁僧堂に掛塔し、竹田頴川に師事。建仁寺堆雲軒住職。1948年(昭和23年)、円覚寺派の新宿月桂寺住職となる。1979年(昭和54年)管長就任。1980年(昭和55年)3月死去。室号は無影樹。著書『禅に生きる』。 |
217 | 慈雲大進 | 1932-2020 | 1980-2010 | 足立大進。足立慈雲。興禅護国会師家9世。自坊は塔頭黄梅院・のち伝宗庵。朝比奈宗源の法嗣。大阪府出身。1932年(昭和7年)5月2日生。兵庫県の妙心寺派大通院で得度。花園大学卒。東洋大学大学院修了。1955年(昭和30年)円覚僧堂に掛塔し朝比奈宗源に師事。浄智寺副住職、円覚僧堂師家代行、円覚寺黄梅院、円覚寺伝宗庵を歴任。1979年(昭和54年)、僧堂師家。1980年(昭和55年)管長に就任。興禅護国会師家就任(1996年(平成8年)まで)。1999年(平成11年)師家退任。2010年(平成22年)管長退任。2020年(令和2年)2月29日死去。87歳。室号は栽松軒。著書に『禅林句集』。 |
218 | 南嶺康岳 | 1964- | 2010- | 横田南嶺。興禅護国会師家11世。自坊は東京龍雲院。足立大進の法嗣。和歌山県新宮市出身。1964年(昭和39年)生。地元の清閑院の坐禅会に参加。1987年(昭和62年)筑波大学卒。在学中、東京龍雲院で池心叟老を戒師として得度。大学卒業と共に建仁僧堂に掛塔し、湊素堂に師事。1990年(平成2年)、梅林僧堂に転錫し、東海大光に参禅。翌年、円覚僧堂に転錫し、足立大進に師事。1998年(平成10年)、円覚寺僧堂師家代行となり、同時に円覚寺黄梅院住職となる。1999年(平成11年)円覚寺僧堂師家。2003年(平成15年)歴住開堂を行い、円覚寺218世となる。2005年(平成17年)龍雲院住職。2010年(平成22年)4月、円覚寺派管長。2011年(平成23年)、興禅護国会師家に就任。2012年(平成24年)、全日本仏教会副会長。2017年(平成29年)、花園大学総長初代に就任。著書多数。室号は青松軒。 |