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日泰寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年4月19日 (火)
(日暹寺から転送)
日泰寺(にったいじ)は、愛知県名古屋市千種区にある、タイから贈られた釈迦の真骨(仏舎利)を奉安する寺院。複数の宗派が協同で管理する。 山号は覚王山。 当初はシャム王国といったため日暹寺と称したが1939年(昭和14年)のタイ王国への改名により1942年(昭和17年)に日泰寺と改称した。 曹洞宗の日泰寺専門僧堂が付属する。
目次 |
歴史
- 1898年(明治31年)1月、英領インドのピプラーワーで釈迦の「真骨」を発掘。イギリス政府はシャム王国に寄贈。バンコクのサケット寺院に奉安された。
- 1900年(明治33年)6月15日、奉迎使の東本願寺大谷光演ら、バンコク王宮にて仏舎利を国王から拝受。合わせて金銅仏を下賜。
- 1900年(明治33年)7月19日:京都妙法院門跡に仮奉安。
- 1904年(明治37年):創建。
- 1918年(大正7年):奉安塔建立。伊東忠太設計。
- 1942年(昭和17年):日泰寺と改称。1941年?
- 1984年(昭和59年)7月16日:タイ国王に本堂建立を報告。金銅仏と勅額を下賜。
- 1984年(昭和59年)9月9日:本堂建立
組織
住職は19宗派(調査中)の代表が3年交代で就任。担当宗派の代表が交代しても同一世代として数えるようだ。 住職とは別に代表役員がいる。 曹洞宗僧堂の堂長が参務(責任役員)を務めるらしい。
住職
- 1吉田源応(1849-1927)<1903-1904>:単称天台宗。天台座主242世・245世。四天王寺96世。
- 2石山覚湛(1838-1911)<1904->:天台宗真盛派。西教寺33世。
- 3日置黙仙(1847-1920)<>:単称曹洞宗。永平寺66世。
- 4中村勝契(1855-1927)<1911->:単称天台宗。天台座主246世。青蓮院門跡門主。
- 5南条文雄(1849-1927)<>:仏教学者。大谷大学学長。真宗大谷派僧侶。
- 6杉本道山(1847-1929)<>:単称曹洞宗。総持寺6世。
- 7宝嶽慈興(1875-1942)<>:臨済宗円覚寺派管長。鎌倉円覚寺214世。樓梧宝嶽。
- 8山本玄峰(1866-1961)<1933->:臨済宗妙心寺派管長21代目。妙心寺632世。
- 9水尾寂暁(1877-1942)<>:単称天台宗。善光寺大勧進94世。
- 10菅原時保(1866-1956)<>:臨済宗建長寺派管長3代目。建長寺住職。
- 11高階瓏仙(1876-1968)<>:単称曹洞宗。永平寺71世。総持寺12世。
- 12常磐井堯祺(1905-1992)<1949-1955>:真宗高田派。専修寺23世。
- 13華園真淳(1884-1975)<>:真宗興正派。京都興正寺29世。
- 14平光寿(1903-1991)<>:真宗三門徒派。専照寺26世。
- 15藤原善敬(1909-1984)<>:真宗山元派。証誠寺24世。
- 16西洞院時雄()<>:融通念仏宗管長。大念仏寺60世。
- 17松本実道(1904-1999)<>:真言律宗管長。西大寺69世。
- 18水谷教章(1897-1976)<>:単称天台宗。三千院門跡門主59世。
- 19木村哲忍(1891-1973)<>:天台真盛宗管長。西教寺39世。
- 19古布義秀(1896-1985)<>:天台真盛宗管長。西教寺40世。
- 20守中隆璋()<>:西山浄土宗管長。山城光明寺79世。
- 21伴義台()<>:浄土宗西山深草派管長。誓願寺法主。
- 22梅田信隆(1906-2000)<>:単称曹洞宗。総持寺21世。
- 23常磐井堯祺(1905-1992)<1986-1989>:真宗高田派。専修寺23世。2度目。
- 24狭川宗玄(1920-2022)<>:華厳宗管長。東大寺別当。
- 25松本実道(1904-1999)<>:真言律宗管長。西大寺69世。2度目。
- 26本田神晃()<>:真宗大谷派蓮西寺住職。
- 27渡辺恵進(1910-2014)<>:単称天台宗。天台座主255世。滋賀院門跡門主。
- 28山本孝円(?-2011)<>:天台真盛宗管長。西教寺42世。
- 29五十嵐隆明(1933-)<>:浄土宗西山禅林寺派管長。禅林寺88世。
- 29小木曽善龍(1918-2012)<>:浄土宗西山禅林寺派管長。禅林寺89世。
- 30岩田文有()<>:西山浄土宗管長。光明寺84世。
- 31井ノ口泰淳()<>:浄土宗西山深草派管長。誓願寺102世。
- 32河野太通(1930-)<2013->:臨済宗妙心寺派管長33代目。妙心寺674世。
- 32嶺興嶽(1942-)<>:臨済宗妙心寺派管長34代目。妙心寺690世。
- 33横田南嶺(1964-)<2016>:臨済宗円覚寺派管長。円覚寺218世。
- 34江川辰三()<>:単称曹洞宗。総持寺25世。
- 35常磐井慈祥()<2022->:真宗高田派。専修寺25世。
代表役員
- 鷲見弘明
- 村上円龍
資料
- 岩本千綱・大三輪延弥1900『仏骨奉迎始末』[1]
- 1916「暹羅皇室の賜品と日暹寺」[2]
- 1925『名古屋案内』[3]
- 忽滑谷快天1933「仏骨奉迎回顧録」「現代仏教』105
- 1941『伊東忠太建築作品』[4]
- 水谷教章1959『仏舎利小考』
- 1960『釈尊二千五百年記念宝帖』
- 倉方俊輔2002「伊東忠太の最初期の創作活動について : 明治期の図面類にみる伊東忠太の設計活動その1」[5]
- 金沢篤2013「忽滑谷快天ノート (2) : 仏骨奉迎の顛末」『駒澤大学禅研究所年報』25
- 川口高風2013「日置黙仙と忽滑谷快天よりみた仏骨奉迎」『愛知学院大学教養部紀要』61-1[6]
- 川口高風2013「「前田奉迎使渡航日記」について」『愛知学院大学教養部紀要』61-2[7]
- 川口高風2014「〈資料〉「能仁新報」よりみた名古屋の仏教(八) ―明治三十三年一月~明治三十三年四月―」『愛知学院大学教養部紀要』62-1[8]
- 川口高風2014「〈資料〉曹洞宗の「宗報」における仏骨奉迎の記事について」『愛知学院大学教養部紀要』62-1[9]
- 川口高風2015「〈資料〉「能仁新報」よりみた名古屋の仏教(九・完) ―明治三十三年五月~明治三十三年六月―」『愛知学院大学教養部紀要』62-3[10]
- 川口高風2015「〈資料〉「禅宗」における仏骨奉迎の記事について(上)」『愛知学院大学教養部紀要』62-4[11]
- 川口高風2015「〈資料〉「禅宗」における仏骨奉迎の記事について(下)」『愛知学院大学教養部紀要』63-1[12]
- 川口高風2016「〈資料〉真宗大谷派の機関誌における仏骨奉迎の記事について」『愛知学院大学教養部紀要』63-2[13]
- 川口高風2016「〈資料〉「教海一瀾」における仏骨奉迎の記事について」『愛知学院大学教養部紀要』63-3[14]
- 川口高風2016「〈資料〉各宗の機関誌における仏骨奉迎の記事について ―天台宗・真言宗(古義、新義)・浄土宗・日蓮宗―」『愛知学院大学教養部紀要』64-1[15]
- 川口高風2017「〈資料〉「新愛知」における仏骨奉迎の記事について」『愛知学院大学教養部紀要』64-2[16]
- 川口高風2017「〈資料〉「正法輪」における仏骨奉迎の記事について(上)」『愛知学院大学教養部紀要』64-3[17]
- 川口高風2017「〈資料〉「正法輪」における仏骨奉迎の記事について(下)」『愛知学院大学教養部紀要』65-1[18]
- 川口高風2018「〈資料〉「教学報知」・「中外日報」における仏骨奉迎の記事について」『愛知学院大学教養部紀要』65-2[19]
- 川口高風2018「〈資料〉各地の新聞よりみた長崎から京都までの仏骨奉迎」『愛知学院大学教養部紀要』65-2[20]
- 川口高風2018「〈資料〉「明教新誌」・「日出国新聞」における仏骨奉迎の記事について(上)」『愛知学院大学教養部紀要』65-3[21]
- 川口高風2018「〈資料〉「明教新誌」・「日出国新聞」における仏骨奉迎の記事について(下)」『愛知学院大学教養部紀要』66-1[22]
- 佐藤照雄2017『戦前期日本の対タイ文化事業―発想の起点と文化事業の特性との関連性』
- 佐野方郁2018「明治期の仏骨奉迎・奉安事業と覚王山日暹寺の創建 : 各宗派機関誌と地方・宗教新聞の分析を中心に」[23]
- 古山健一2018「日泰寺仏舎利考 : 特に将来の背景について」『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』19
- 古山健一2019「日泰寺仏舎利考 : 遠藤龍眠師の在タイ期における活動について」『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』20
- 古山健一2020「日泰寺仏舎利考 : 堀内文次郎にとっての仏舎利奉安塔」『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』21
- 村嶋英治2022「稲垣満次郎と石川舜台の仏骨奉迎に因る仏教徒の団結構想:ピプラワ仏骨のタイ奉迎から日本奉迎まで(1898–1900)」[24]
- 「<明治150年プロジェクト関連事業>京都市歴史資料館 スポット展示「明治33年 釈迦真骨の奉迎行列」」[25]