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宝満山
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*財徳坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。明治3年6月還俗。 | *財徳坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。明治3年6月還俗。 | ||
*平石坊:近世初期の座主坊。1688年(元禄1年)廃絶。 | *平石坊:近世初期の座主坊。1688年(元禄1年)廃絶。 | ||
- | * | + | *浄戒坊:中世の座主坊。天正15年8月、兵乱で焼失し廃絶。 |
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+ | *大聖坊:近世初頭に廃絶。 | ||
+ | *伊多坊:近世初頭に廃絶。 | ||
+ | *西井坊:近世初頭に廃絶。 | ||
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+ | *妙心坊:中世にあった。 | ||
+ | *善如坊:衆徒方。寛永頃に廃絶。 | ||
+ | *浄泉坊:衆徒方。寛永頃に廃絶。 | ||
==資料== | ==資料== |
2019年9月28日 (土) 時点における版
宝満山(ほうまんさん)は、福岡県太宰府市にある宝満山信仰の霊山。古代大宰府の東北に位置し、鬼門守護の神として重視されたと思われる。古代には最澄・円仁をはじめ、渡唐僧の崇敬を受け、延暦寺や天台宗との関係を深めた。中世までに八幡信仰との関わりを深め、石清水八幡宮の管轄下にあったこともある。祭神の玉依姫神は八幡神の親族神とされるが、神武天皇の母である同名神ともみられるようになる。いつ頃からか修験道が盛んになり、英彦山と一体の山岳霊場を形成した。筑前国御笠郡。竈門山、御笠山ともいう。
目次 |
歴史
戦後
1982年(昭和57年)、心蓮1300年遠忌に合わせて宝満山修験会を設立。峰入りを復興した。
一覧
- 竈門神社:宝満山信仰の総本社。玉依姫命を祀るが神格については諸説ある。「宝満宮」。官幣小社。式内社、名神大社
- 有智山寺:最澄旧跡。六所宝塔の一つ。「大山寺」「竈門山寺」「内山寺」「宝仲寺」とも。廃絶。天台宗。
- 根本中堂
- 休堂
- 薬師堂
- 行者堂
- 講堂
- 求聞持堂
- 座主墓地
- 五井七窟
- 閼伽井
- 益影井
- 徳弘井
- 試井
- 獅井
- 大南窟
- 福城窟
- 法城窟
- 剣の窟
- 普池の窟
- 釜蓋窟
- 宝塔窟
- 安西宝塔:2009年、再建。
- 心蓮墓:仏頂山(元宝満山)にある。
- 愛嶽神社:愛嶽山にある。
- 五百羅漢
- 千体地蔵
- 青面金剛
- 獅子宿
- 仙竈岩:竈門岩とも。禅僧仙厓筆の「仙竈」の字が刻まれている。
- 袖摺岩
- 善哉岩
- 玉依姫命神陵
- 役小角窟
- 竈門神社北谷遥拝所
- 夢想権之助神社:杖術の開祖を祀る霊社。夢想権之助(生没年不詳)は江戸時代初期の剣客。竈門神社に参籠して神託を受けたという。
- 式部稲荷神社
子院
- 楞伽院:座主坊。修験道本山派の「座主」の格式を持った。施無畏寺。明治2年7月までに還俗して神職となる。
- 南之坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
- 富倉坊:明治2年7月までに還俗して神職となる。
- 東院坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
- 岩本坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
- 井本坊:明治1年9月、還俗して神職となる。
- 仲谷坊:明治2年7月までに還俗して神職となる。
- 道場坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。明治3年6月還俗。
- 鳥居坊:明治2年7月までに還俗して神職となる。
- 新坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。明治3年12月廃絶。
- 尾崎坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
- 修蔵坊:守静院。明治3年に存在した十六坊の一つ。明治3年6月還俗。
- 大谷坊:明治2年7月までに還俗して神職となる。
- 浄善坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
- 福寿坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
- 経蔵坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。明治10年廃絶。
- 福泉坊:明治1年3月、還俗して神職となる。
- 松林坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
- 栄門坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
- 亀石坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。神仏分離で一時、座主を継ぐ。
- 奥之坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
- 歓明坊:明治2年7月までに還俗して神職となる。
- 福蔵坊:明治2年7月までに還俗して神職となる。
- 寂光坊:明治2年7月までに還俗して神職となる。
- 吉祥坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
- 財徳坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。明治3年6月還俗。
- 平石坊:近世初期の座主坊。1688年(元禄1年)廃絶。
- 浄戒坊:中世の座主坊。天正15年8月、兵乱で焼失し廃絶。
- 浄土院:成道院。葬儀を行う寺。
- 大聖坊:近世初頭に廃絶。
- 伊多坊:近世初頭に廃絶。
- 西井坊:近世初頭に廃絶。
- 妙心坊:中世にあった。
- 善如坊:衆徒方。寛永頃に廃絶。
- 浄泉坊:衆徒方。寛永頃に廃絶。
資料
典籍
- 2009『宝満山関係史料集』
- 竹内理三編『大宰府・太宰府天満宮史料』
文献
- 伊藤常足編『太宰管内志』筑前21
- 中野幡能『筑前国宝満山信仰史の研究』
- 中野幡能「宝満山修験の末寺・末社組織」(『英彦山と九州の修験道』)
- 中野幡能「宝満山の峯入」
- 小田富士雄1961「古代に於ける筑前竈門山寺の活動」[1]
- 小田富士雄編1982『宝満山の地宝 宝満山の遺跡と遺物』[2]
- 小田富士雄編1983『太宰府・宝満山の初期祭祀 『宝満山の地宝』拾遺』
- 松川博一2014「大宰府と寺社」[3]
- 森弘子「宝満山の開発と歴史的発展」(『英彦山と九州の修験道』)
- 森弘子1983「宝満山の祭祀」『大宰府古文化論叢』
- 森弘子2000『宝満山歴史散歩』葦書房
- 森弘子2004「宝満山玉依姫考」
- 森弘子2005「玉依姫の霊窟 羽黒と宝満と」[4]
- 森弘子2009『宝満山の環境歴史学的研究』岩田書院
- 森弘子2012「宝満山と聖護院そして彦山 本末論争の前提と結末」
- 1989『宝満山遺跡』[5]
- 1997『宝満山遺跡群2』[6]
- 2001『宝満山遺跡群3』[7]
- 2002『宝満山遺跡群・浦ノ田遺跡3』[8]
- 2004『宝満山遺跡群4』[9]
- 2006『宝満山遺跡群5』[10]
- 2010『宝満山遺跡群6』
- 2012『宝満山遺跡群7』
- 小西信二編1984『宝満山及び竈門神社周辺の遺跡分布調査報告書 昭和58年度』[11]
- 2013『宝満山総合報告書 福岡県太宰府市・筑紫野市所在の宝満山に関する文化財の総合報告』
- 広渡正利1990「宝満山修験組織の確立について」『福岡県地域史研究』
- 広渡正利1988「福岡藩の寺社支配についてー博多三刹と宝満山の場合」(『西南地域の史的展開』)
- 高良竹美「求菩提山・宝満山の伝承」(『修験道の伝承文化』)
- 時枝務2013「八世紀後半の筑前宝満山」
- 時枝務2013「筑前宝満山における山頂祭祀の成立」
- 岡寺良2008「宝満山近世僧坊跡の調査と検討 山岳寺院の平面構造調査」『九州歴史資料館研究論集』33
- 山村信榮2005「大宰府における国境祭祀と宝満山・有智山寺」『仏教芸術』282号
- 2011『「北部九州の山岳霊場遺跡 近年の調査事例と研究視点」資料集 第1回九州山岳霊場遺跡研究会』
- 2016「彦山・宝満山縁起と諸伝承」『仏教民俗学大系』7
- 中野景雄編1940『宝満山と竃門神社』
- 「北九州修験秘録 宝満山伏の峰入り」『あしなか』71
- 2013『山の神々 九州の霊峰と神祇信仰 竈門神社肇祀一三五〇年記念』