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諸国国分寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | *かみゆ歴史編集部編、2014『国分寺を歩く』イカロス出版 | ||
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2015年9月27日 (日) 時点における版
国分寺(こくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)は、聖武天皇が全国に設置した国家仏教の寺院。奈良の東大寺が総国分寺、法華寺が総国分尼寺とされる。同様の制度は、中国の歴代王朝やブータンなど各国にある。室町時代の安国寺、利生塔も似た制度である。
概要
- 僧寺は薬師信仰、国分尼寺は阿弥陀信仰と関連があるとされる。僧寺は本来、勅にあるように釈迦如来を祀るはずだが、国分寺に祀られていた薬師如来の伝承が多い。
- 僧寺の多くは古代伽藍の跡地が判明しているが、和泉、摂津、安房、近江、出羽、加賀、越中の7寺は推定段階に留まり、志摩、駿河、越前、越後、対馬は不明である。また多禰国分寺があったという説もある。
- 保存状態の良い国分寺遺跡として国特別史跡に指定されている常陸国分寺、讃岐国分寺、遠江国分寺がある。
- 東大寺は創建時の伽藍が一部現存している。周防国分寺では現存寺が古代の伽藍とほぼ同じ配置で建てられている。
- 大規模な国分寺としては、東大寺や武蔵国分寺があった。塔では上野国分寺が最大級の塔を持っていた。僧坊の最大級は讃岐国分寺だった。
- 国分尼寺では三河国分尼寺が最大規模だった。
- 信濃、伯耆、豊後では僧寺と尼寺が近接して設けられた。
- 若狭国分寺は巨大古墳のそばに造られた。
- 皇宮を転用した国分寺がある。山城国分寺は恭仁京大極殿を転用した。隠岐国分寺は後醍醐天皇の行在所だったという伝承がある。
- 僧寺で既存の寺院が指定された例は少なく、加賀国分寺、能登国分寺、和泉国分寺があった。国分尼寺でもいくつかある。
- 聖武天皇の詔から百年後に定められた加賀国分寺や能登国分寺のような例もある。
- 古代に場所の移転があったことが確実な僧寺は近江国分寺のみで、他はよく分かっていない。
- 四国の国分寺4寺(阿波、讃岐、伊予、土佐)は全て四国霊場に含まれる。
- 中世、叡尊やその門下による復興が行われた。
- 現存寺には真言宗寺院が多い。
一覧
参考文献
- かみゆ歴史編集部編、2014『国分寺を歩く』イカロス出版
- 各国分寺関係の資料