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本願寺近松別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2018年12月18日 (火) 時点における版
本願寺近松別院(ほんがんじ・ちかまつ・べついん)は、滋賀県大津市札の辻にある浄土真宗寺院。本願寺遷座旧跡。西本願寺の別院。浄土真宗本願寺派。寺号は顕証寺。近松坊、近松顕証寺、大津顕証寺などと呼ばれた。山号は近松山。(参考:同名寺院顕証寺)
歴史
1469年春、園城寺万徳院の斡旋で、蓮如が園城寺南別所に近松坊を創建。 蓮如は1471年に越前の吉崎御坊に移るが、親鸞御影は1480年の山科本願寺建立まで近松坊にあったと考えられている。 1480年11月18日、「根本御絵像」を近松坊から山科本願寺に遷座した記録が『拾麈記』にある。ただし絵像とあり、現在の本願寺御影堂の像との関係は不詳。
のちの記録では開山を蓮如長男の順如としており、山科本願寺建立後に順如が後を任されたらしい。 順如の死後、蓮淳が入寺。有力な勢力である堅田本福寺門徒に睨みを利かせた。
1532年、焼失。 1570年9月、織田信長が下した朱印状によると近松寺内にあったことが分かる。 1692年の下寺開基帳によると常住住職はおらず、八尾・顕証寺が兼務。留守居として正福寺と光現寺があった。 1902年、別格別院となる。 (日本歴史地名大系)