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丹生川上神社上社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2019年8月24日 (土) 時点における版
丹生川上神社 上社 にう かわかみ じんじゃ かみしゃ | |
高台に遷座した丹生川上神社上社 | |
概要 | 雨の神を祀る神社。 |
奉斎 | 高〓神 (『神道大辞典』) |
所在地 | 奈良県吉野郡川上村迫869-1 |
所在地(旧国郡) | 大和国吉野郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・正三位・二十二社・官幣大社・別表神社 |
関連記事 | 丹生川上神社関連旧跡 |
丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃ・かみしゃ)は、奈良県吉野郡川上村迫(大和国吉野郡)にある、丹生川上神社を構成する神社の一つ。祭神は高オカミ大神(高龗大神)(神社ウェブサイト)。古代の鎮座地の推定地の一つだったが、ダム建設による沈没のため高台に遷座した。元宮と呼ばれるダム湖に沈んだ旧地からは祭祀遺跡が見つかっている。
官社。名神大社。正三位。二十二社。官幣大社。神社本庁の別表神社。丹生川上神社関連旧跡。
目次 |
奉斎
- 主祭神:高オカミ大神(高龗大神)
- 相殿神:大山祇神、大雷神
(神社ウェブサイト)
歴史
丹生川上神社の鎮座地は江戸時代には分からなくなっていた。様々な学者が研究を重ねていたが、明治初年、政府は現在の下社を丹生川上神社と認定した。ところが少宮司に任命された江藤正澄が現在の鎮座地は『類従三代格』が記す位置に合致せず、「丹生大明神」「水神」などと呼ばれた迫村の高オカミ神社こそが丹生川上神社だと主張。この見解が支持され、明治7年(1874)10月13日、迫村の祠を丹生川上神社奥宮と定め、従来の社を丹生川上神社口宮とした。のち明治29年(1896)11月4日、奥宮を上社、口宮を下社と改称した。大正6年、本殿の造営など社殿の整備が行われ、昭和9年にも本殿修理が行われている。
しかし、森口奈良吉が大正4年『丹生川上神社考』を著し、東吉野村の蟻通神社こそが『類従三代格』が記す位置に合うとし、11年、政府は蟻通神社を丹生川上神社中社と定めた。
戦後、昭和34年(1959)の伊勢湾台風が甚大な被害をもたらしたことを機に、37年に大滝ダム建設計画が始まった。紆余曲折の末、集落の移転が決まり、神社は平成10年(1998)3月に現在地に遷座。旧地を県立橿原考古学研究所が調査したところ、平安時代の社殿の基壇が出土し、さらに縄文時代中期に遡る祭具も発掘された。元宮の旧地は宮の平遺跡と呼ばれている。ダムは平成25年(2013)に竣工し、遺跡とともに旧鎮座地は水没した。
戦前は上社・中社・下社の3社で一つの神社組織を持ち、中社に社務所を置いていたが、戦後は3社それぞれが独立した宗教法人となった。
組織
宮司
- 梅本寬明()<>:
- 平田貴教()<>:
- 望月康麿()<?-現職>:
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』