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武蔵・喜多院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2020年4月23日 (木) 時点における版
喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市小仙波町(武蔵国入間郡)にある元三大師信仰の天台宗寺院。天台宗延暦寺派準別格大寺。天海ゆかりの旧跡で、仙波東照宮別当。中院・南院と共に、580寺を従えた関東天台の拠点だった無量寿寺の一院だった。大光普照寺、宗光寺と共に天台宗関東三檀林の一つ。東叡山の山号を持っていたが、寛永寺に譲り、星野山と称す。川越大師とも言われる。旧称は仏蔵院(仏蔵坊)。また北院とも。(参考:同名寺院喜多院・北院)
目次 |
歴史
無量寿寺や中院と共に円仁が創建したといい、尊海が中興した。元は仏蔵院(仏蔵坊)と称し、のち北院、喜多院と称した。ある時期まで中院、北院は並立していたが、1558年(永禄1年)、中院が青蓮院門流の伝授権を認められるとその配下に入った。一山寺院としての無量寿寺もこの頃崩壊したと思われる。
中院より優位に立つようにたびたび争論。そして天海が入寺し、中興。1612年(慶長17年)が徳川家康が300石を寄進。同年8月、家康は川越藩主酒井忠利を奉行として伽藍造営を命じ、翌年、慈恵堂、1614年(慶長19年)大堂を造営。また1613年(慶長18年)には関東天台宗法度を喜多院に下して延暦寺を超える有力寺院となった。同年12月、天海の法話と中院の法話を聴き比べ、喜多院に500石を、中院に黄金10枚を与えた。
1617年(元和3年)、天海の主導で前年に死去した徳川家康の神櫃が久能山から日光山に改葬されることとなり、日光に向かう途中の3月23日~26日、神櫃が喜多院大堂に奉安。遷座道中で最大の法要が営まれた。まもなく喜多院にも家康の霊が祀られ、仙波東照宮の起源となった。
1620年(元和6年)徳川秀忠は寺領を朱印地とした。東叡山を号したのもこの頃とみられる。ただし、東叡山の号は1624年(寛永1年)の寛永寺創建で譲り、星野山に戻った。
1638年(寛永15年)、川越大火で焼失。徳川家光は中院跡に東照宮を造営。大堂、多宝塔、客殿、書院、庫裏、慈恵堂を整備した。客殿、書院、庫裏は江戸城から移築したという。神仏分離で、仙波東照宮、日枝神社、三芳野神社などが独立。中院以外の子院は廃絶した。1910年(明治43年)喜多院保存会を創立。 (日本歴史地名大系)
伽藍
- 大堂:廃絶。本尊の阿弥陀如来は客殿に祀られている。
- 慈恵堂:事実上の本堂となっている。本尊は良源。
- 慈眼堂:天海の御影堂。
- 多宝塔:
- 客殿:江戸城から移築。
- 五百羅漢:1796年(寛政8年)志誠が発願。1823年(文政6年)落慶。
- 太子堂:
- 仙波東照宮:現在は独立した神社。
- 仙波日枝神社:現在は独立した神社。
- 三芳野神社:現在は独立した神社。
- 三位稲荷:
- 白山神社:
- 大黒堂:
- 川越藩松平家墓地:松平朝矩、松平直恒、松平直温、松平斉典、松平直侯を葬る。
- 歴代住職墓地:
- 斎霊殿:葬儀場
- 学寮:
子院
- 真珠院:知事(住職の次位)の号。
- 中院:寺家。無量寿寺中院。現在は独立寺院。
- 南院:寺家。無量寿寺南院。廃絶。
- 明星坊:平坊。
- 星行坊:平坊。
- 成就坊:平坊。
- 心鏡坊:平坊。
- 広仙坊:平坊。
- 仙境坊:平坊。
- 常蔵坊:平坊。
組織
住職は能化と称した。
歴代住職
- 1尊海()<>:中興
- 2寛海()<>:
- 3忠海()<>:
- 4紹海()<>:
- 5良海()<>:
- 6隠海()<>:
- 7珍海()<>:
- 8顕海
- 9
- 10
- 11勝海
- 12
- 13慶海
- 13仙海()<>:
- 14実海()<>:1460年(寛正1年)生(1446年(文安3年)説は誤りという)。1533年(天文2年)8月17日死去。
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- 19祐海
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- 26豪海()<>:
- 27天海(1536-1643)<>:中興
- 28倫海()<>:
- 29周海()<>:
- 30慈海()<>:1624年(寛永1年)生。1693年(元禄6年)死去。
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- 桜木谷慈薫()<1834-1907>:天保5年2月10日生。毛越寺住職。喜多院住職。明治40年2月27日死去。74歳。
- 壬生雄舜(1877-1950)<>:(略歴は妙法院#組織を参照)
- 57塩入亮忠(1889-1971)<>:仏教学者。長野県出身。明治22年6月23日生。天台宗大学卒。大谷大学研究科や東大寺勧学院で華厳教学を研究。1931年(昭和6年)大正大学教授。1951年(昭和26年)大正大学学長。浅草寺執事長。宗務総長。探題。浅草寺法善院住職。川越喜多院住職。昭和46年12月23日死去。82歳。(日本人名大辞典、20世紀日本人名事典)
- 58塩入亮善(1930-)<>:
- 59塩入秀智()<>: