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若王子神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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応仁の乱で荒廃したが、[[豊臣秀吉]]が社領を寄進し、今川氏真の子の澄存が復興した。 | 応仁の乱で荒廃したが、[[豊臣秀吉]]が社領を寄進し、今川氏真の子の澄存が復興した。 |
2020年6月28日 (日) 時点における版
若王子神社(にゃくおうじ・じんじゃ)は、京都府京都市左京区にある熊野信仰の神社。祭神は天照大神。禅林寺の鎮守ともいう。江戸時代には別当として乗々院があり、聖護院門跡の院家として熊野三山奉行を務めた。禅林寺新熊野社、白川熊野とも呼ばれた。聖護院熊野神社、新熊野神社と共に京都三熊野の一つ。
歴史
永暦元年(1160)6月、後白河上皇が熊野那智大社を分霊して創建。源頼朝、足利尊氏、足利義満らが崇敬。 応仁の乱で荒廃したが、豊臣秀吉が社領を寄進し、今川氏真の子の澄存が復興した。 戦後、神社でありながら仏教教団である本山修験宗に一時所属したがのち離脱した。
(日本歴史地名大系ほか)