ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
七条仏所
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年5月6日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
七条仏所は京都の七条東洞院(京都府京都市下京区材木町)にあった造仏所。定朝の子の覚助に始まる。この仏師集団の流れを慶派という。鎌倉時代初頭の運慶の頃に京都七条を拠点とした。現在の真宗本廟の近く、枳殻邸の南側のあたり。康弁が他阿呑海に定朝の邸宅跡を寄進し、京都七条・金光寺を創建したという。のち七条中仏所、七条東仏所、七条西仏所に分裂。天正年間、豊臣秀吉の都市改造で四条烏丸に移ったという。興福寺大仏師職や東寺大仏師職を世襲したという。
仏師
- 覚助(?-1077):定朝の子または弟子。
- 頼助(1054-1119):覚助の子。定朝の孫。拠点を京都から南都に移す。
- 康助(生没年不詳):頼助の子。定朝の曾孫。豪助。蓮華王院三十三間堂の千体観音を作ったという。
- 康朝(生没年不詳):康助の子。定朝の玄孫。
- 成朝(生没年不詳):康朝の子。鎌倉に下り、幕府とのつながりを築き、のちの慶派の興隆を基礎となる。興福寺大仏師。
- 康慶(生没年不詳):康朝の弟子。成朝が鎌倉に下った後、京都・南都での中心的存在となる。
- 運慶(?-1223):康慶の子。初代の東寺大仏師。この頃、京都に七条仏所を構えたか。
- 快慶(生没年不詳):康慶の弟子。安阿弥陀仏。
- 湛慶(1173-1256):運慶の長男。東寺大仏師。
- 康運(生没年不詳):運慶の次男。太字
- 康弁(生没年不詳):運慶の三男。他阿呑海に帰依したという伝承がある。
- 康勝(?-1237):運慶の四男。東寺大仏師。
- 栄快(生没年不詳):快慶の弟子。興福寺大仏師。
- 康円(1207-?):康運の子。湛慶の後継者。東寺大仏師。康縁、幸縁。
- 性慶():興福寺大仏師。
- 康俊(生没年不詳):南朝との関係が深い。東寺大仏師。興福寺大仏師。
- 康誉(生没年不詳):北朝との関係が深い。七条西仏所の祖とされる。東寺大仏師。
- 康成():康俊の子。南朝との関係が深い。興福寺大仏師。
- 俊慶():興福寺大仏師。
- 湛勝():興福寺大仏師。
- 順慶():興福寺大仏師。
- 寛慶():興福寺大仏師。
- 慶秀():興福寺大仏師。
- 舜慶():興福寺大仏師。
- 湛誉():興福寺大仏師。
- 康秀():
- 21康正(1534-1621):康秀の子。七条仏所21代という。
- 22康猶():康正の子。1632年死去。
- 23康音():康猶の子。1682死去。84
- 24康知(?-1661):康猶の猶子。
- 25康乗():康知の子。
- 26康祐(?-1689):康知の弟子。七条仏所中興。東寺大仏師(七条仏師では最後)。
- 27
- 28
- 29
- 30康伝(1733-1793):
- 31康朝(1759-1818):
- 32康勝():康朝の子。
- 33康布():康朝の子。
- 34康敬():康朝の子。33世を称す。
- 35康教():