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吉田家
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2019年11月21日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
吉田家は吉田神道を司り、神祇管領長上を名乗って全国の神職に免状を発行した家。卜部氏。のち華族となり子爵となる。
目次 |
歴史
歴代
吉田家
- 1吉田兼直(神献霊神)():冷泉殿。墓は知恩院にあったが江戸時代中期には現存せず(『霊簿』)。
- 2吉田兼藤(神白霊神)():墓は知恩院にあったとみられる。
- 3吉田兼益(神威霊神)():墓は知恩院にあったとみられる。
- 4吉田兼夏(神貞霊神)():墓は知恩院にあったが江戸時代中期には現存せず(『霊簿』)。
- 5吉田兼豊(神恭霊神)():墓の石塔は蓮台野にあったが昭和初期に大徳寺黄梅院に移転
- 6吉田兼熙(神光霊神、神光明神)(1348-1402):兼凞。墓は蓮台野に建てられた。知恩院に移すことが計画され、宝篋印塔を建てたが中止となった。位牌所の吉田・神光院に神光霊社が建てられていた。1779年の時点では存続していた。霊社の下に遺骸があったという記述があるが確実ではない。
- 7吉田兼敦(神烈霊神)(1368-1408):
- 8吉田兼富(神度霊神)():
- 9吉田兼名(神恩霊神)():別邸を菩提寺として神恩院とした。
- 10吉田兼倶(神龍大明神)(1435-1511):神龍神社。
- 11吉田兼致(神類霊神)(1458-1499):神龍神社のそばに神類霊社が建てられた。
- 12吉田兼満(後神龍霊神)():神龍神社のそばに後神龍霊社が建てられた。
- 13吉田兼右(唯神霊神)(1516-1573):新長谷寺の中に唯神霊社が建てられた。死後間もなく創建。33回忌の1604年に社殿造営。1621年屋根修復。
- 14吉田兼見(豊神霊神)(1535-1610):唯神霊社のそばに豊神霊社が建てられた。
- 15吉田兼治(随神霊神)(1565-1616):
- 16吉田兼英(通神霊神)():
- 17吉田兼起(泰神霊神)():
- 18吉田兼敬(妙応霊神)(1653-1731):
- 19吉田兼章(神性霊神)():
- 20吉田良延(恵源霊神)(吉田兼雄)(1705-1787):吉田家邸内に墓を築き恵源霊社が建てられた。戦後、邸跡の売却のため発掘すると、土葬の遺骨と「吉田二位良延卿」と書かれた銅板が出土した。吉田家墓地に改葬された。専源霊神とも。
- 21吉田良倶(後豊神霊神)(吉田兼隆)():
- 22吉田良連(神源霊神)(吉田兼業)():
- 23吉田良長(神寛霊神)():
- 24吉田良煕():
- 25吉田良義(1837-1890):1867年(慶応3年)8月、神祇権大副。1868年(明治1年)2月、参与・神祇事務局輔。10月皇学所御用掛。宮内省掌典。1879年(明治12年)吉田神社宮司。1884年(明治17年)日枝神社宮司。子爵。1890年(明治23年)3月4日死去(官報)。(『神道人名辞典』など)
萩原家歴代
吉田家旧跡
- 吉田家関東役所