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水無瀬神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
水無瀬神宮(みなせ・じんぐう)は、大阪府三島郡島本町広瀬(摂津国島上郡)にある後鳥羽天皇を祀る霊社。もと水無瀬御影堂、水無瀬法華堂と称した。明治になり、同様に承久の乱に関与した土御門天皇と順徳天皇も合祀された。三帝を祀る神社としては、鎌倉の新宮神社(鶴岡八幡宮内)や配流先に創建された後鳥羽帝の隠岐神社、順徳帝の真野宮、土御門帝の阿波神社がある。官幣大社。天皇奉斎神社。御霊信仰。
目次 |
由緒
歴史
一帯は1199年頃に後鳥羽上皇が建てた離宮水無瀬殿(皆瀬御所、広瀬御所とも)があった。 1239年2月22日、隠岐で上皇が崩御すると遺勅により藤原信成・親成父子が1240年、離宮跡に御影堂を建てて菩提を弔った。 御霊信仰の性格も強かった。 後村上天皇が大興禅寺の創建を発願したが実現しなかった。 1488年、天皇250年遠忌に宗祇らが法楽連歌「水無瀬三吟百韻」を奉納。 1494年8月、後土御門天皇は隠岐から神霊を迎えて「水無瀬宮」(水無瀬神とも)の号を贈った。
1596年、地震で損傷。1600年、内裏の建物を移築して再建。 1631年、火災で被災。後水尾天皇が社殿の復興に力を注ぎ、1650年頃、内侍所旧材で再建された。これが現在の社殿という。 再建は間に合わなかったが1638年、400年遠忌には天皇の和歌も献じられた。 以後、50年ごとの遠忌には天皇貴族の和歌奉納が恒例となった。 1737年、故あって神号を返上。 1873年、水無瀬宮と改称。官幣中社となる。 1939年、天皇700年祭に合わせて官幣大社に昇格し、水無瀬神宮と改称した。
(『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』ほか)
社殿構成
供僧
当初は臨済宗法燈派の僧侶の関与が深く、心地覚心を開山に招いて大興禅寺という臨済宗寺院を神宮寺として建てる計画もあった。 中世後期から近くの真言宗宝積寺や天台宗西観音寺の僧侶が供僧として奉仕した。ただし、神宮寺、あるいは別当寺のような固定的な関係ではなかったらしい。両寺は離宮八幡宮の供僧も務めていた。
- 山城・宝積寺:京都府乙訓郡大山崎町銭原。真言宗智山派
- 西観音寺:大阪府三島郡島本町山崎。天台宗。後鳥羽天皇の菩提所にもなり、位牌を祀っていた。廃絶。
- 勝幡寺:大阪府三島郡島本町山崎。真言宗東寺派。後鳥羽天皇の崩御の直後に廟を築いたともいう。
- 豊楽寺:水無瀬家ゆかりの寺院。
組織
水無瀬家
- 水無瀬親信(1137-1197):水無瀬家の祖。後鳥羽天皇の叔父に当たる。
- 水無瀬親兼():後鳥羽天皇の側近。承久の乱の後、上皇にならい出家。
- 水無瀬信成():後鳥羽天皇の側近。
- 水無瀬親成(生没年不詳):父信成と共に後鳥羽上皇に忠節を尽くす。1239年(延応1年)の上皇の遺命で水無瀬離宮を与えられ、菩提を弔うように命じられる。水無瀬御影堂を創建。水無瀬家を称すのはこれ以後。
- 水無瀬良親():
- 水無瀬具良():
- 水無瀬具兼():
- 水無瀬具隆():
- 水無瀬具景():
- 水無瀬重親():
- 水無瀬季兼():三条公冬の子。重親の養子となる。
- 水無瀬英兼():
- 水無瀬兼成():三条西公条の子。英兼の養子。
- 水無瀬氏成():
- 水無瀬兼俊():
- 水無瀬氏信():
- 水無瀬兼豊():養子。
- 水無瀬氏孝():
- 水無瀬兼条():氏孝の子。
- 水無瀬経業():氏孝の子。兄兼条の養子となる。
- 水無瀬師成():
- 水無瀬友信():
- 水無瀬忠成():養子。氏孝の子。
- 水無瀬成貞():
- 水無瀬有成():
- 水無瀬教成():
- 水無瀬経家():養子。
羽林家。分家として七条家・町尻家・桜井家・山井家がある。近くの浄土宗阿弥陀院が水無瀬家の菩提寺。
宮司
- 水無瀬忠輔()<1887->:子爵。経家の養子。1887年4/19水無瀬宮宮司[1]。
- 水無瀬忠政()<1916-1932>:子爵。1916年(大正5年)3月20日、水無瀬宮宮司[2]。1932/12/15退任[3]。1938年(昭和13年)6月23日、水無瀬宮宮司再任。1942年(昭和17年)12月24日、退任。
- 水無瀬忠房()<1932-1932>:1932/12/15水無瀬宮宮司[4]。同月31日死去[5]。
- 谷垣義雄()<1932-1938>:伊豆山神社宮司を経て1932/1/19水無瀬宮宮司[6]。1938年(昭和13年)6月23日、出雲大社権宮司[7]。
- 水無瀬忠政()<1938->:1938年(昭和13年)6月23日、水無瀬宮宮司再任[8]。1942年(昭和17年)12月24日、退任。
- 水無瀬忠房()<>:陸軍歩兵中尉。1942年(昭和17年)12月24日、水無瀬宮宮司。?
- 水無瀬忠寿()<>:
- 水無瀬忠成()<>:
権宮司
- 水無瀬保丸()<>:1875年(明治8年)在職。
写真
資料
古典籍
参考文献
- 水無瀬神宮1939『水無瀬神宮と承久役論』
- 水無瀬神宮1941『官幣大社水無瀬神宮略記』
- 水無瀬神宮1941『水無瀬神宮御法楽和歌集』
- 水無瀬神宮1979『水無瀬神宮と周辺の史跡』
- 水無瀬神宮1992『水無瀬神宮物語』
- 1922『大阪府全志』[11]
- 魚澄惣五郎1926「南北朝時代に於ける水無瀬御影堂」『龍谷大学論叢』266
- 魚澄惣五郎1931「水無瀨御影堂の信仰」『古社寺の研究』[12]
- 魚澄惣五郎1940「御所藏文書より見たる水無瀬神宮の沿革」[13]
- 1930『大阪府官幣社現行特殊慣行神事』[14]
- 1933『大日本神社志2』「水無瀨宮」
- 中村直勝「後鳥羽院」『天皇と国史の進展』
- 1939平泉澄『後鳥羽天皇を偲び奉る』
- 1939『上方』103号「水無瀬神宮号」:後鳥羽天皇700年式年祭特集。106号、108号も。
- 内務省神社局1939「官幣中社水無瀬宮神社名改称竝に官幣大社に昇格の御事に就て」『内務厚生時報』4-3
- 天坊幸彦1940「郷土史より見たる水無瀬神宮」[15]
- 金丸二郎1940『後鳥羽天皇七百年式年御祭記念展観図録』
- 高島屋編1941『後鳥羽天皇七百年式年祭水無瀬神宮隠岐神社奉納刀匠昭和の御番鍛冶作刀展』[16]
- 1941『官国幣社特殊神事調』3[17]
- 伊藤治一1943「順徳天皇御神霊の水無瀬宮に奉還」『順徳天皇』
- 斎藤長三1944『佐渡に於ける順徳天皇』[18]
- 1964『重要文化財水無瀬神宮茶室修理工事報告書』
- 藤井貞文1956「後鳥羽上皇御意志の成立-怨霊思想の解明の一として」『神道宗教』13
- 藤井貞文1963「後鳥羽上皇御霊の発動」『神道宗教』32
- 龍粛「後鳥羽院霊託とその時勢」
- 龍粛1957「承久の変の遺響」『鎌倉時代 下』
- 田邑二枝1971『隠岐の後鳥羽院抄』
- 1973「水無瀬宮年中行事」『日本祭礼行事集成6』
- 1975『島本町史』
- 佐野和史1980「水無瀬神宮三帝神霊還遷の経緯:皇霊奉斎神社創立の一考察」『神道宗教』
- 松林靖明1981「この世の妄念にかかはられて―後鳥羽院の怨霊」『帝塚山短期大学紀要 人文・社会科学編』18
- 松林靖明1985「『承久記』と後鳥羽院の怨霊」[19]
- 村重寧1990「後鳥羽院像と信実」『MUSEUM』476
- 志村有弘1991「後鳥羽上皇水無瀬神宮」『歴史読本』36-3
- 田中阿里子1991「荒魂の鎮まる社 水無瀬神宮--配流、後鳥羽帝の鎮魂の社」『歴史と旅』250
- 佐々木孝浩1994「追善歌会としての影供:後鳥羽院影供についての一考察」[20]
- 山田雄二1997「鎌倉時代の天皇陵:後鳥羽・土御門・順徳を中心に」『季刊考古学』58
- 山田雄二1998「崇徳院怨霊と後鳥羽院怨霊の交錯:『保元物語』崇徳院怨霊譚の形成」『日本宗教文化史研究』
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- 今野慶信2009「後鳥羽院の怨霊」『後鳥羽院のすべて』
- 2009「後鳥羽院関係史蹟事典」『後鳥羽院のすべて』
- 2009鈴木彰「後鳥羽院像の展開」『後鳥羽院のすべて』
- 戸田靖久2010「水無瀬御影堂の宗教的運営体制:「供僧」の分析を通して」[23]
- 小崎良伸2012『後鳥羽院の怨霊封じと百人一首の謎』
- 杉崎貴英2013「峰定寺阿弥陀三尊像の伝来をめぐって:水無瀬御影堂旧在の後鳥羽院関係仏か」『日本宗教文化史研究』
- 奥崎智道・藤澤彰・赤石憲祐2013「近代佐渡における真野宮御造営と3代目間島杢太郎について」[24]
- 龍口恭子2016「法燈国師と後鳥羽院」[25]
- 谷口雄太2016「京都足利氏と水無瀬神宮」『中世東国の社会と文化』
- 2018「隠岐と後鳥羽院―祭礼にこめられた敬慕と追悼」『島根県立古代出雲歴史博物館企画展 隠岐の祭礼と芸能』
- 豊田裕章2019「水無瀬離宮(水無瀬殿)の空間構成と機能について」[26]