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河内六別時
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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河内六別時 |
目次 |
概要
河内六別時。融通念仏宗の有力寺院。 いずれも融通念仏宗中興の法明の旧跡。融通念仏宗の寺院はもともと定まった建物はなく、「挽道場」「挽寺」と呼ばれ、信徒の家を交代に道場としたが、江戸時代に寺院化した。大念仏寺と大原南坊が本末を争ったときには、法明寺、来迎寺、極楽寺が大念仏寺側に、良明寺、大念寺、高安寺が大原南坊側に付いた。 近代には廃絶を免れた喜連法明寺、丹南来迎寺、錦部極楽寺、石川大念寺が中本山となっている(『融通念仏宗々憲宗規』明治41)。