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青蓮院植髪堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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植髪堂は京都府京都市東山区粟田口三条坊町の青蓮院にある親鸞「植髪の御影」を祀る阿弥陀堂。
- 1181年(養和1年):親鸞は9歳の時に青蓮院で慈円のもとで得度。この時に剃り落とした髮を保管し、張り子の親鸞の像の頭に植え付けた。この「植髪の御影」は後に青蓮院に移されて祀られたという。やがて新たに木像が作られ金蔵寺の御供屋に祀られた。『梅室随筆』(1847年(弘化4年))によると金蔵寺地蔵尊と並べて祀られており何の像か知られていなかったが享保年間に本間紹信という人物が青蓮院宮にこれは親鸞の像であると言上して青蓮院で祀るようになったという。
- 1759年(宝暦9年)8月:金蔵寺の傍らに阿弥陀堂を建立し植髪の御影と阿弥陀如来を祀った。(日本歴史地名大系)
- 1760年(宝暦10年):現在の厨子が制作された。(境内由緒書)
- 1767年(明和4年)11月:華頂山山上に移転(日本歴史地名大系)。都名所図会によると、仏光寺本廟の東側にあり、華頂山堂と呼ばれていたという。
- 1783年(天明3年):定法寺町に新堂建立を計画(境内由緒書)。京都府京都市東山区定法寺町。現在の阿含宗関西総本部あたりか。
- 1794年(寛政6年)閏11月:定法寺町に移転(?)。(日本歴史地名大系)
- 1811年(文化8年)3月:定法寺町に移転し入仏落慶。現在の堂宇という。(境内由緒書)
- 1838年(天保9年):従来は西本願寺に属していたが、この年以降は法会を西本願寺と東本願寺が交替で勤めることとする。(日本歴史地名大系)
- 1880年(明治13年):青蓮院境内に移転。(日本歴史地名大系)
- 1900年(明治33年):子授観音線刻仏を建立。
- 1939年(昭和14年)5月:「親鸞聖人遺髪塔」を建立。得度750年記念。東西本願寺法主がお手植えか。
- 1940年(昭和15年)5月:石造宝塔を建立。「親鸞聖人得度遺髪」を納めるという。
- 1979年(昭和54年)8月:大改修を実施。(境内由緒書)
資料
- 『京都坊目誌』「阿弥陀堂」[1]