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現・讃岐国分寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年2月12日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
国分寺(こくぶんじ)は、香川県高松市国分寺町にある、聖武天皇の讃岐国分寺を継承する真言宗寺院。古代伽藍跡に位置する。四国八十八所霊場第80番札所。秘仏本尊である大型の十一面千手観音像と梵鐘は、平安時代の製作とみられ、古代国分寺の伝統を今に伝えるものと言える。真言宗御室派。白牛山千手院国分寺。
歴史
由緒では、行基が千手観音を祭って創建されたとされる。その後、空海が訪れ中興したという。諸国国分寺の中でも大規模な伽藍を誇った、古代寺院は、11世紀ごろには衰微したとみられる。その後、真言律宗西大寺流の僧が、各地の国分寺を復興したが、讃岐国分寺も室町時代の明徳2年(1391)には西大寺の末寺になっていた記録がある。ただ現本堂は、鎌倉時代中期の造営と推測され、嘉元4年(1306)に西大寺長老2世の信空が近隣の鷲峰寺に滞在しており、その頃には西大寺末になっていたと考えられている。現在は、仁和寺の末寺。
本尊には、大永8年(1528)に安芸宮島の人が書いた「南無大師遍照金剛」との落書きがあり、この頃には四国霊場に組み込まれていたとみられる。天正の兵乱で大きな被害を受けた。江戸時代、高松藩主の生駒家、松平家の庇護を受けた。史跡調査が盛んになった幕末には、北東約2kmにある讃岐国分尼寺跡に法華寺が再興された。金堂は、古代の講堂跡の上に礎石を再利用して建てられている。仁王門は、中門跡とみられている。
なお、四国霊場としては前の第79番札所讃岐・天皇寺からは⚫︎km、次の第81番札所白峰寺まで⚫︎kmある。
参考文献
- かみゆ歴史編集部編、2014『国分寺を歩く』イカロス出版