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遣迎院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2019年2月19日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
遣迎院(けんごういん)は、京都白河にあった天台宗系・浄土宗系の寺院。浄土宗西山派開祖証空の没地であり、墓所。円密戒浄(天台・真言・戒律・浄土)の四宗兼学の寺院として発展。浄土宗西山派本山流の拠点だった。宮中御黒戸の祭祀を司った「御黒戸四箇院」の一つ。1583年(天正11年)京極遣迎院と南遣迎院に分かれている。白河遣迎院。白川遣迎院。
目次 |
歴史
寺伝によると、九条道家が証空に帰依し、1201年(建仁1年)に創建。当初の所在地は現在の南遣迎院の地という見方もあるが、「白河遣迎院」と呼ばれていたことを考えると、もっと北にある白河の地だろうか。1711年(正徳1年)の『山州名跡志』には「旧地今不詳」とある。
1247年(宝治1年)11月26日、証空は遣迎院で死去。浄土宗西山派本山流の拠点の一つとなり、三鈷寺の末寺だった。
1575年(天正3年)定額寺となる(山城名跡巡行志)。 1583年(天正11年)京極遣迎院(上京区北之辺町)と南遣迎院(東山区本町)に分かれている。弘空が京極遣迎院を中興。1787年(天明7年)の『拾遺都名所図会』は南遣迎院のことを「京極遣迎院の兼帯所也」と記すので、京極遣迎院が本寺だったのだろう。近世には天台宗の所属となっていた。京極遣迎院は1946年(昭和21年)浄土真宗遣迎院派本山を名乗り、1955年(昭和30年)鷹峰に移転した。
京極遣迎院の跡地には霊元天皇第三皇子見性院の皇室治定墓がある。
(日本歴史地名大系ほか)
組織
歴代住職
- 証空(1177-1247):
- 円空立信(1213-1284):
- 法位境空(?-1398):
- 恵篤善空(1412-1492):
- 敬空寿観(1436-1507):
資料
古典籍
- 「遣迎院」『古事類苑』[1]
文献
- 広川尭敏1969「遣迎院本仮名書観門義について」『印度學佛教學研究』17-2[2]
- 青木淳1995「快慶作遣迎院阿弥陀如来像の結縁交名―像内納入品資料に見る中世信仰者の「結衆」とその構図」『仏教史学研究』38-2
- 鈴木暎一2016「徳川光圀と遣迎院応空」『茨城県史研究』100