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三論宗
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2019年2月24日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
三論宗(さんろんしゅう)は、『中論』『十二門論』『百論』を所依の経典とする仏教の宗派。インドの中観派の系譜を引き継ぎ、般若経の「空」の教えの精髄を示しているとされる。中国の吉蔵を開祖とする。古代日本には高句麗僧の恵灌が最初に伝え、元興寺流と大安寺流が成立し、成実宗を寓宗としたという。のち東大寺東南院を本寺とするが、教団としては途絶した。しかし、空の教えを説く般若心経は日本仏教のほとんどで受容されている。
目次 |
歴史
一覧
中国
日本
人物
インド
- 文殊菩薩:凝然の『八宗綱要』で三論宗の「高祖」とされる。
- 馬鳴(1世紀-2世紀頃):凝然の『八宗綱要』で三論宗の「次祖」として挙げられている。アシュバゴーシャ。仏教詩人。カニシカ王の顧問となる。著作に『ブッダチャリタ』『サウンダラナンダー・カービヤ』。馬鳴菩薩。
- 龍樹(150-250頃):ナーガールジュナ。『中論』『十二門論』を著す。
- 提婆(2世紀-3世紀頃):アーリヤデーバ。聖提婆。『百論』を著す。スリランカ(あるいは南インド)の王の子として生まれたが出家し、龍樹の弟子となった。他の学説を激しく批判したため暗殺されたという。著作には他に『四百論』『百字論』がある。『智心髄集』の著者も提婆とされるが、後世の仮託という。
中国
- 鳩摩羅什(344-413):中論、十二門論、百論を漢訳する
- 僧朗(5世紀頃):高句麗出身。建康棲霞寺で華厳・三論を講じた。南北の2派に分かれていた三論の学を統一したという。一説に僧朗以前の三論宗を古三論と呼び、僧朗以後を新三論と呼ぶ。
- 僧詮():
- 法朗(507-581):僧詮の弟子。建康興皇寺に住す。
- 吉蔵(549-623):三論宗宗祖。法朗の弟子。『中論疏』『十二門論疏』『百論疏』『三論玄義』を著す。会稽・嘉祥寺に住し、揚州・慧日寺と長安日厳寺を開く。嘉祥大師。
日本
- 恵灌(生没年不詳):日本三論宗の開祖。高句麗の僧。吉蔵の弟子。元興寺に住した。たびたび祈雨の霊験を示したという。晩年は河内に井上寺を建てて隠棲した。
- 福亮(生没年不詳):呉出身の僧侶。吉蔵に学ぶ。息子の智蔵と共に来日。大化元年に定められた十師の一人となる。658年、中臣鎌足に招かれ、山階寺で維摩経を講じる(興福寺維摩会の起源)。
- 智蔵():元興寺流。福亮の子。呉出身。慧灌に学び、のち入唐して吉蔵に学ぶ。
- 道慈():大安寺流
- 善議(729-812)
- 勤操():
- 智光():
- 泰善():
- 安澄():
- 玄叡():
- 願暁():
- 聖宝():
- 聖守():
- 観理():
- 覚樹():
- 永観():
- 慧珍():
- 珍海():
- 英憲():
- 英訓():