ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
本山修験宗
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年4月7日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
本山修験宗(ほんざん・しゅげんしゅう)は、京都府京都市左京区の聖護院を本山とする修験道教団。
当初は修験宗といった。本修驗宗と本山修験宗が分立。のち統合。
組織
管長
聖護院門跡門主が務める。
宗務総長
元は総務といった。
- 宮城信雅(1923-1958):近代を代表する修験道の教学者。喜蔵院の宮城宏年の長男。父の死去で聖護院に預けられ、岩本恭随のもとで得度。1918年(大正7年)京都帝国大学印度哲学科卒。聖護院に奉職。園城寺雑誌『慧命』、聖護院機関紙『修験』の発行に関わる。1924年(大正13年)柳田暹〓から四度加行、伝法灌頂。叡山学院や種智院大学で教える。1930年(昭和5年)、円珍1500年御遠忌事務局代表に就任。1941年(昭和16年)合同天台宗の教学部長に就任。戦後は聖護院の修験宗独立に尽力し、修験宗総務を務めた。自坊は積善院。住心院、峰定寺を兼務。全日本仏教連盟評議員、京都仏教会理事。1958年(昭和33年)10月24日死去。67歳。(『日本仏教と修験道』)
- 岡本孝信()<>:自坊は伽耶院。分裂時には吉祥草寺を本山とする本修驗宗の管長となる。
- 加来徳泉()<>:
- 岡本孝道()<>:
- 宮城泰年()<>:
- 中村覚祐()<>: