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大谷祖廟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年9月11日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
大谷祖廟(おおたに・そびょう)は、京都府京都市東山区円山町にある親鸞の墓廟。真宗大谷派の施設。浄土真宗本願寺派が管理する大谷本廟(西大谷)に対して東大谷と俗称される。 戦前までは御坊・別院の格式を持った独立寺院で大谷御坊・大谷別院と称したが戦後は東本願寺の組織に合併され、東本願寺が廃止された現在は真宗本廟の飛地境内となっている。
歴史
1602年の東本願寺の成立に伴い、その境内の南西に親鸞の廟所が設けられた。 1670年、琢如が廟所を現在地に移転。七条にあった教如と宣如の墓も移した。 この地には元々は袋中の庵があったという。 1699年から整備が行われ、 1701年9月に墳墓改葬法要が、 1703年、御堂遷仏法要が営まれた。 御坊(掛所)としての組織も整備され、輪番のもとに補番、堂衆、列座などが置かれた。 護持のための講社として大谷講と女房講が設立された。 1745年に敷地が拡張された。 1748年、参道に石灯籠が並べられ、1857年、1862年にも参道が整備された。 東本願寺が火災で焼失した時には再建するまでの間、仏像宝物が移され、仮堂として機能した。
明治まで大谷御坊と呼ばれたが、1872年、大谷管刹。 1876年、大谷別院と改称。1952年、組織を東本願寺に合併し、その飛地境内となった。 東本願寺の廃止で現在は真宗本廟の飛地境内である。 (『日本歴史地名大系』など)
- 墓所
- 本堂
- 納骨堂
- 大谷共同墓地
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