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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

大谷祖廟

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年7月9日 (木)

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大谷祖廟中心部(国土地理院空中写真より)
大谷祖廟(国土地理院空中写真より)
大谷祖廟墓地(国土地理院空中写真より)
知恩院~八坂神社~大谷祖廟~高台寺~清水寺(国土地理院空中写真より)

大谷祖廟(おおたに・そびょう)は、京都府京都市東山区円山町にある親鸞の墓廟。真宗大谷派の施設。浄土真宗本願寺派が管理する大谷本廟(西大谷)に対して東大谷と俗称される。

1602年の東本願寺の成立に伴い、その境内の南西に親鸞の廟所が設けられた。 1670年、琢如が廟所を現在地に移転。七条にあった教如と宣如の墓も移した。 この地には元々は袋中の庵があったという。 1699年から整備が行われ、 1701年9月に墳墓改葬法要が、 1703年、御堂遷仏法要が営まれた。 御坊(掛所)としての組織も整備され、輪番のもとに補番、堂衆、列座などが置かれた。 護持のための講社として大谷講と女房講が設立された。 1745年に敷地が拡張された。 1748年、参道に石灯籠が並べられ、1857年、1862年にも参道が整備された。 東本願寺が火災で焼失した時には再建するまでの間、仏像宝物が移され、仮堂として機能した。

明治まで大谷御坊と呼ばれたが、1872年、大谷管刹。 1876年、大谷別院と改称。1952年、組織を東本願寺に合併し、その飛地境内となった。 東本願寺の廃止で現在は真宗本廟の飛地境内である。 (『日本歴史地名大系』など)

  • 墓所
  • 本堂
  • 納骨堂
  • 大谷共同墓地
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